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Dharmacakra
智慧之大海 ―去聖の為に絶学を継ぐ

慈雲『千師伝』

原文

第二 三輪山玄賓菴戒龍律師。名唯如。美濃國人也。予に儀軌ぎき等を授く

第三 東光山とうこうざん慧空阿闍梨。予に素讀そどく指南。因に和上に說て予をして上足じょうそくたらしむ。予が出家の因緣は慧空阿闍梨の力也

第四 十九山村墓寺大輪律師。予に阿字觀あじかんを授。律師阿字觀綿密也

第五 信州佐久軍内山村正安寺しょうあんじ大梅だいばい禪師。名法𤩄。曹洞宗そうとうしゅう也。予廿四のとき參す。予が法に力を得たるは大梅禪師の因緣なり。予に於て甚慈愛なり。禪師質甚英偉也。手跡文章など鍛鍊なり

第六 宇治田原巖松院がんしょういん善淳ぜんじゅん律師。予に延三七年法えんさんしちねんほうを授く

第七 紀州根來寺ねごろじ常明僧正。予地藏院流じぞういんりゅうを受

第八 三輪平等寺中之坊靜智師に唯識論ゆいしきろんをきく。予十九歳のとき也

《以下脱落、紛失》

現代語訳

第二 三輪山玄賓庵げんぴんあん戒龍かいりゅう律師、名は唯如。美濃国の人である。私に儀軌ぎき等を授けられた。

第三 東光山慧空えくう阿闍梨。私に素読を指南された。(忍綱)和上に(その才覚の優れていることを)伝えて、私をその上足じょうそく〈高弟〉とさせられたのである。私が出家することとなった因縁は、慧空阿闍梨のお力によるものである。

第四 十九山村墓寺大輪だいりん律師。私に阿字観あじかん〈悉曇の阿字を対象とする瑜伽法〉を授けられた。律師は阿字観について非常に緻密であった。

第五 信州佐久郡内山村正安寺しょうあんじ大梅だいばい禅師、名は法𤩄ほうせん。曹洞宗である。私が二十四のとき参禅した。私が仏法において力を得たのは大梅禅師の因縁である。私について甚だ慈愛をもってしてくださった。禅師は甚だ英偉な人であり、その手跡・文章など非常に優れていた。

第六 宇治田原巌松院がんしょういん善淳ぜんじゅん律師。私に延三七年法〈准胝観音を本尊とする延命長寿を祈る法〉を授けれらた。

第七 紀州根来寺常明じょうみょう僧正。私は(僧正から)地蔵院流〈三宝院流の支流〉を受けた。

第八 三輪平等寺中之坊静智じょうち師に『成唯識論じょうゆいしきろん〈『唯識三十頌』の注釈書〉をきく。私が十九歳のときのことである。

(以下、脱落紛失)

脚註

  1. 儀軌ぎき

    密教における瑜伽法を記した典籍。密教の三密行は、儀軌を元に編成・構成され、それをまとめたものを一般に次第という。

  2. 東光山とうこうざん

    未詳。

  3. 素讀そどく

    漢文を口に出して読むこと。その読み方を学ぶこと。まず素読が出来るようになって後、その意味が教授された。

  4. 上足じょうそく

    高弟。忍綱は紀州雑賀の出身で、その弟子のほとんど皆は郷里の雑賀の者ばかりであり、慈雲は例外であった。

  5. 阿字觀あじかん

    密教の修習法の一つ。月輪の中に描かれた悉曇の阿字を対象に心を陶冶し、また阿字に象徴される諸法本不生(無自性空)の義を習得する。『善無畏三蔵禅要』などに基づく。形式上は僧俗問わず行えるため、巷間では比較的容易いものとされるが実際はそのようなことはなく、顕教の十分な理解がなければ到底成就することは出来ない。

  6. 正安寺しょうあんじ

  7. 大梅だいばい禪師

    圭立法撰(けいりゅう ほうせん)。大梅は僧名でなく号。慈雲参禅の当時、曹洞宗で最も高名であった禅者。慈雲は最初からその高名であることを頼り、住職を法弟に譲って摂津から信州まで参禅に出たのであろう。
    そもそも、尊者の師忍綱のそのまた師であった洪善普摂は、もと曹洞宗の人で宇治は興聖寺の所化であった。そこで曹洞宗中興の祖、月舟宗胡と共にあって法友であった。洪善が律を志すきっかけは、月舟の勧めによるものであったといい、当時宇治田原の巖松院にあって当代の律僧として名を馳せてい慈忍慧猛の門弟となったという。

  8. 曹洞宗そうとうしゅう

    鎌倉期、道元により日本にもたらされた禅の一派。室町期から衰退し、近世は他の宗派と同じく堕落していたという。これを中興し、往時の風儀を取り戻そうと奮闘したのが洪善の法友、月舟宗胡であった。

  9. 巖松院がんしょういん

    宇治田原(現:京都府綴喜郡宇治田原町)にある小院。現在は高野山真言宗の末寺。慈忍が槇尾山で五夏を過ごして後に派遣され、その第二世として整備した。慈雲と巖松院は交流があり、尊者が滞在して法筵を開いたこともあってその墨跡なども蔵されていた。しかし、今は散失して一つも遺されていない。

  10. 善淳ぜんじゅん律師

    善淳妙静。紀州出身。宝暦二年〈1752〉、槇尾山平等心王院にて受具して五年後、巖松院に派遣されて住した。

  11. 延三七年法えんさんしちねんほう

    准胝観音を本尊として人を延命させる法。寿命を二十一年延ばす功徳があるとされることから延三七年(延三七歳)という。

  12. 根來寺ねごろじ

    紀州(現:和歌山県岩出市)にある大寺院。現新義真言宗総本山。鎌倉期、高野山の学侶覚鑁が金剛峯寺衆徒の迫害をうけたことにより、高野山に建立していた大伝法院を移す体で開かれた寺院。当初は優れた学僧を幾多も排出したが、室町期となると大荘園を領して僧兵(根来衆)を蓄える一大軍事集団と成り果て政争に明け暮れた。そのため豊臣秀吉の天下統一の一環として徹底的に掃討され衰退した。その後、紀州徳川家の後援によって復興された。復興後は大した学僧も排出されず、むしろ根来寺荒廃によって京都に逃れて開かれた新義真言宗の智積院が、多くの優れた学僧を出した。

  13. 地藏院流じぞういんりゅう

    真言密教における事相の一流派。小野流・醍醐三流の一である三宝院流の支流。地蔵の文字を解体してその部位を取り、土巨流などとも称す。今、三宝院流はほとんど報恩院流(幸心流)が主流となっているが、その本流は地蔵院流であったという。

  14. 唯識論ゆいしきろん

    『成唯識論』十巻。世親菩薩『唯識三十頌』を護法が注釈したもの。法相宗の根本典籍の一つで、唯識を学ぶに必須の論書。

慈雲尊者について

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