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Dharmacakra
智慧之大海 ―去聖の為に絶学を継ぐ

『諸宗之意得』 雙龍尊者口説

原文

佛弟子たるもの。諸宗末世の風儀によるは非なるべし。其わけは天竺にては純厚なり。

論ずるに及ばず。支那にて天台より天台宗出で。賢首より華嚴宗出で。玄奘慈恩より法相宗出來。達磨より禅宗出来たれ共。此時別々に宗旨に依て僧儀分れたる事なし。唯一相の佛弟子にて持戒清淨。そのうへに修學する所により。其の法門まちまちなるなり。

一相の佛弟子にて三密瑜伽の修行を精修するを眞言陀羅尼宗と名く。一相の佛弟子にて禪定修行心地發明を意がけるを禪宗と名く。一相の佛弟子にて華嚴法華圓頓の妙旨を修學するを敎者と名く。持犯開遮等を精詳にするを律宗と名く。倶舎唯識を修學するを法相と名く。浄土等宗も準知すべし。皆悉く正法なり

今時宗旨宗旨に。なりふり袈裟衣迄ちがうたるは末世の弊風なり。本朝古より高僧の圖眞多し。行基時代の諸德。又弘法傅敎等の諸師。又慈恩善導等の諸德の圖眞を見べし。此れも近代圖工のあやまり。彫師のあやまりあり。古のよし

 戒律

沙門の通式なり。佛弟子たるもの必七衆あり。今時諸宗の。我宗にては戒學はいらぬと云ひがごとなり。又傅敎所立の圓頓戒等は大悲菩薩の辯の如し。聖敎量に違スル

此れも近代別行血脈など云もの出來て。達磨所傅など云者あり。皆後人の杜撰なり。支那諸傅記にもなし。日本の古記等にもなし。勿論聖敎量に違す。智者察すべし

淨土宗の布薩戒或人三歸戒。十六條戒。禪門戒など準知すべし。三昧耶戒は瑜伽行者別途の事なり。又中古の人の。我規條は大乘小乘の律と同にもあらず異にもあらずと云は如何なり。大迦葉尊者だに唯佛所説の如く受持すと仰せられ。梵網にも。遮那も誦じ玉ふ釋尊も誦じ玉ふとあれば。佛々同等の戒なり。後人のあんばいいらぬ事か。智者察すべし。

とかく佛在世を手本とすべき事也。總じて大乘小乘宗旨宗旨にて戒律も袈裟もちがふと云は。ひがごとなり。今たとへば戒律は公儀の掟なり。貴賤ともに守らねばならぬこと。大乘小乘は多く心地の沙汰なり。たとへば人の智愚の如し。智者も眼はよこ鼻はたてなり。同じ横の眼にちがふことあるなり。大乘小乘の戒もその通りなり。同く殺生せぬ内に差別あり。同く淫戒を持つ内に差別あるなり。比丘沙彌の袈裟に割截縵衣等の差別のあるは。此は貴賤衣服の別の如し。たとへば諸人は大紋など。官人は衣冠などのたぐひの如し

現代語訳

仏弟子たる者は、諸宗における末世の風儀に従うのは誤りである。その理由わけ は、(仏教発祥の地)天竺にては(今日の日本で言われるような宗派などなく、釈教として)純粋であった。

言うまでもなく、支那にて天台〈天台大師智顗〉から天台宗が起こり、賢首〈賢首大師法蔵〉より華厳宗が始まり、玄奘ならびに慈恩〈慈恩大師基〉から法相宗が生まれ、達磨〈Bodhidharma. 菩提達磨〉より禅宗が出来た。しかし、その当時、別々に宗旨によって僧儀〈僧伽の儀式・出家者の外儀・威儀作法〉が分かれることは無かった。ただ一相の仏弟子〈律儀に準じた同じ姿形の仏弟子〉であって持戒清浄。その上で修学するところにより、その法門がまちまちであった。

一相の仏弟子であって三密瑜伽の修行を精修するのを真言陀羅尼宗と名づける。一相の仏弟子であって禅定修行し心地発明を心がけるのを禅宗という。一相の仏弟子であって『華厳経』や『法華経』の円頓の妙旨を修学するのを教者と名づける。(律蔵に説かれる)持犯開遮〈律の規定〉を精詳にするのを律宗という。倶舎〈阿毘達磨〉・唯識を修学するのを法相と名づける。浄土などの宗も、これに準じて知れ。皆全て「正法」である。

今時、宗旨宗派によって、行儀や袈裟衣まで違っているのは末世の弊風である。本朝には古より高徳の図真が多くある。行基時代〈奈良時代,特に聖武帝前後〉の諸徳、また弘法や伝教などの諸師、さらには慈恩や善導など諸徳の図真を見よ。これらにも近代は図工の誤り、彫師の誤りがある。(したがって)古いものが良い。

 戒律

沙門の通式である。仏弟子たるものには必ず七衆〈比丘・比丘尼・沙弥・正学女・沙弥尼の出家の五衆と、優婆塞・優婆夷の在家の二衆〉がある。今時、諸宗において「我が宗にては戒学は要らない」と云うのは僻事である。また、伝教〈伝教大師最澄〉が立てた円頓戒〈十善戒および梵網戒を受けるのみで出家たりえ、むしろ大乗僧はそうすべきとした主張〉などは大悲菩薩〈覚盛〉の弁の通り〈南都では代々、円頓戒は根拠を欠いたデタラメとした〉である。聖教量〈聖言量。経律に伝えられた仏陀の言葉〉に違背したものだ。

これも近代、「別行血脈」などと云うものが出来て、達磨所伝などと云う者がある。すべて後人の杜撰(な捏造)である。支那の諸伝記にも無く、日本の古記等にも無い。勿論、聖教量に違背している。智者は察せよ。

淨土宗の布薩戒〈室町期頃に法然作として捏造された『浄土布薩戒』に基づいた浄土宗独自の戒。杜撰な創作〉、ある人〈道元〉の(創始した)三帰戒・十六条戒・禅門戒〈いずれも根拠なく同源によって主張された曹洞宗独自の戒。経律に根拠のない杜撰な創作〉なども準知せよ。三昧耶戒は瑜伽行者に別途の事である。また、中古の人が「我が規条は大乗小乗の律と同じでもなく異なってもいない」と云うのは一体どういうことであろうか。大迦葉尊者でさえ「ただ仏陀が説かれたとおりに受持す」と仰られ〈諸律蔵に伝えられる第一結集での言葉.以降、僧伽における根本的指針となった〉、『梵網経』にも「毘盧遮那も誦じ玉う。釈尊も誦じ玉う」とあるのであれば、仏仏同等の戒である。後人の塩梅〈戒律について後人が独自に改変・自作すること〉など要らぬ事であろう。智者は察せよ。

とかく仏在世を手本とすべきことである。総じて大乗小乗、宗旨宗旨によって戒律も袈裟も違うということは僻事〈道理に合わないこと〉である。今例えば、戒律とは公儀〈幕府〉の掟〈法度〉である。貴賤ともに守らねばならないことだ。大乗小乗(の戒律)というのはほとんどの場合、心地〈思想・心情〉の沙汰〈判断すること〉である。例えば人の智愚のようなもの。智者でも眼は横、鼻は縦である。同じ横の眼に違いがあるに過ぎない。大乗小乗の戒もその通りである。同じく殺生しないことの内に差別がある。同じく淫戒を持つことの内に差別があるのだ。比丘と沙弥との袈裟に割截衣〈小さい布に截断したものを縫い合わせた衣〉と縵衣〈一枚布に縁を着けた衣〉などの差別があるのは、これは貴賤の衣服に別があるようなものである。例えば諸人は大紋〈大紋をあしらった直垂。五位以上の武家の礼装〉などであり、官人は衣冠〈宮廷に仕える官人の装束〉などの類のようなものだ。

脚註

  1. 天台てんだい 智顗。支那隋代の僧で天台宗開祖。慧文を開祖とした場合は慧思に続く第三祖。
  2. 賢首けんじゅ 法蔵。支那唐代の僧で華厳宗第三祖。『華厳経探玄記』・『華厳五教章』・『華厳教旨帰』など華厳宗において最も重要視される典籍を著した。
  3. 玄奘げんじょう 支那唐代の僧。唯識を学ぶため印度に入り、阿毘達磨および唯識の重要典籍や般若経など大乗の経典を持ち帰ってその多くを漢訳した大訳経僧。
  4. 慈恩じおん 基(窺基)。支那唐代の僧で玄奘の高弟。玄奘について阿毘達磨および唯識を学び法相宗を立てた。
  5. 達磨だるま Bodhidharma(菩提達磨)。支那南北朝代に来訪したという印度僧。禅宗の始祖。
  6. 一相いっそうの佛弟子 同じ姿・形の仏弟子。「仏弟子」というからには仏陀所説の法と律に從った者であり、であるならばその衣服・装束は誰であれ等しく同じでなければならない。したがって、仏弟子は本来「一相」であって異相は許されない。
  7. 持戒清淨じかいしょうじょう 戒律を持して何ら違犯ないこと。戒律について清浄と云われる場合は「違犯の無いこと」を示すのであって、物理的あるいは宗教的に「清らか」であることを意味しない。
  8. 三密瑜伽さんみつゆが 瑜伽はyogaの音写で「結びつけること」あるいは「相応させること」の意。身口意の三業において身業では印契を、口業では真言陀羅尼を、意業では真言に基づいた三昧を修すことであり、自身の三業をそれぞれ三密を相応させること。
  9. 圓頓えんとん 円満頓足の略。完全でたちどころに具えること。しばしば日本天台宗において自宗の教義が完全無欠であることの形容として独善的に用いられる。
  10. 持犯開遮じぼんかいしゃ 戒律の諸条項における持戒と犯戒、および開(許されている事項)と遮(制されている事項)。戒律の規定の詳細。
  11. 倶舎くしゃ 世親『阿毘達磨倶舎論』。しばしば倶舎という語をもって阿毘達磨全般を指す。
  12. 唯識ゆいしき 一切の事象はいわゆる精神の本体である「識」によって現し出されたものであり、ただ「識」以外に実在するモノはないという、仏教における一見解およびその学派。法相宗
  13. 正法しょうぼう 仏陀の教え。真理。
  14. なりふり袈裟衣けさえ迄ちがう 日本は特に平安中期以降、律令制が崩れ、また仏教僧の貴族化が進んだことにより袈裟衣の改変が進み、また中世には宗旨宗派ごとに敢えて偏向を加える者が多くなってむしろ異相ばかりとなって本来の仏弟子の相を取る者が無くなった。そもそもそれが何かを知らず、また知ろうとする者もほとんど無かった。
  15. 圖眞ずしん 当時の画像に関する理解・態度を示した言葉。今の写真と同様、それは必ず事実を写し取ったものであるとの理解がここに込められている。
  16. 善導ぜんどう 支那唐代の僧。日本では浄土宗五祖のうち
  17. 沙門しゃもん [S]Śramaṇaあるいは[P]Samaṇaの音写。仏教の出家修行者。元来は印度におけるバラモン(伝統的祭祀者)に対する自由思想家の謂で、特に仏教者に限ったものではなかった。
  18. 七衆しちしゅ 仏教徒全体の謂。仏教の出家者には比丘・比丘尼・沙弥・式叉摩那・沙弥尼の五衆があり、在家には優婆塞と優婆夷の二衆があって総じて七衆という。
  19. ひがごと  僻事。道理や事実に基づかない誤ったこと。
  20. 傅敎所立でんきょうしょりゅうの圓頓戒 最澄が平安期初頭になした、十善戒によって沙弥出家した上で梵網経所説の大乗戒(梵網戒)をのみ受けることで比丘となり得るという主張。経説に正当な根拠がなく、また従来の印度・支那・日本における伝統にも無いことであったが、最澄は自身の政治的危機(深刻な人材流出)を打開するため根拠も伝統もあると強弁し続け、朝廷からその行政上の許可を得るために運動し、ついにその死の前後に政治的には許可された。最澄の主張した大乗戒は「南都として認められない」という類のものでなく、印度以来の伝統と根拠という点でも全く認められない、極めておかしなものであった。
    慈雲は最澄によるいわゆる大乗戒単受の主張について「迷謬の甚きなり」(『戒本大要』)としている。
  21. 大悲菩薩だいひぼさつ 覚盛。中世鎌倉前期の僧。すでに滅びていた律儀の復興をする為、従来否定され続けてきた比丘の律儀戒の自誓受と三聚浄戒に律儀戒を包摂し総じて受ける通受という受戒法、すなわち通受自誓受という方法を種々の経論の端々を根拠に捻出した。結果的にそれは最澄の主張に近似したものとなったが、覚盛はしかし、南都における従来の見解を引き継いで自身のそれは批判の対象とならないと主張した。
  22. 聖敎量しょうぎょうりょう 聖言量。経律に伝えられた仏陀の言葉。あるいは仏陀の言葉(経律)に基づいた判断。
  23. 別行血脈べつぎょうけちみゃく 禅宗にてしばしば捏造された禅法の血脈。尋常のものとは異なることから別行という。
  24. 布薩戒ふさつかい 浄土宗において法然作として捏造された『浄土布薩戒』に基づいた経律に根拠もなく意味も不明な戒。浄土宗は天台宗の亜流であったが、しかし天台宗の云う圓頓戒との差別化を図るため、浄土宗独自のものとして創作された杜撰。
  25. 或人あるひと 道元。慈雲は洞上の法脈を受けてはいたが、道元の見解には全く同調していなかった。特に戒律についての道元の所説には明確に反意を示している。実際、道元の戒律についての主張は根拠不明で、印度はもとより支那の伝統にも則っていない点がほとんどのデタラメであった。
  26. 三歸戒さんきかい十六條戒 禪門戒ぜんもんかい 道元は自身が支那で受けたという戒について『仏祖正伝菩薩戒作法』なる書を著して弟子に相承させた。その内容は三帰戒・三聚浄戒・十重禁戒を合わせた十六条戒あるいは十六支戒というものであったが、その「仏祖正伝」などという称に全く反して経律に根拠なく、伝統にも乖離し、内容からしても不合理で杜撰な創作であった。それはあたかも田舎の饅頭屋が「元祖」や「本家」を強いて自ら称するようなもので、その実を反映したものではない。
  27. 三昧耶戒さんまやかい 『大日経』等に基づく密教独特の戒。
  28. ただ佛所説の如く受持す 慈雲の基準は明確であって、何より先ず経律など仏典に基づくことであった。往古の祖師の所説は経律に違反せず、また合理的整合性がある場合にのみ依るべきものとした。
  29. 梵網ぼんもう 『梵網経』。日本では天平の昔から大乗戒の典拠の一つとして奉じられた。慈雲もこれを甚だ重要な菩薩戒の典拠としている。もっとも、支那では隋代の智顗以前には偽経であろうとの強い嫌疑がかけられており、実際ほぼ間違いなく偽経である。
  30. 比丘びく [S]Bhikṣuまたは[P]Bhikkhuの音写。仏教の正式な男性出家者。原意は「乞う者」。
  31. 割截かっせつ 小さい布、あるいは敢えて小さく裁断した布を稲田のような形に縫い合わせて奇数条にし縁を付けた衣。糞掃衣の一種。
  32. 縵衣まんえ 大きな一枚布に縁を付けた衣。比丘は着用せず、沙弥が着用する衣とされる。

慈雲尊者について

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