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Dharmacakra
智慧之大海 ―去聖の為に絶学を継ぐ

明恵『阿留辺畿夜宇和』 ―あるべきようわ

原文

昔し、我小法師原こほふしばらの時より、愛染王あいぜんおう五秘密ごひみつ等の秘法も次に覺へき。よき學生がくしょう、能付かんとも思はず、只紙にかきたてまつりたる釋迦如來なりとも、つかみ付まいらせて、有んと思き。釋尊の御在世、ならましかば、おんしりえにして、付まいらせて、ありなまし。又しゅを領して、先德の德にも、及ばぬ様にて、和尚わじょうがましきありさま、心うき事也。如何なりとも、さはあらじ。佛の御前に向ひ参せて、一分の德もなくば、生て何かせんと思ひき。我は武士の家に生を受たれば、武士にはし、成りたらましかは、わずかの此世の、一旦の耻見しとて、とくに死すべきぞかし。佛法に入たらんからに、けきたなき心あらじ。佛法の中にて、又大強たいかうの者に、ならざらんやと、思き。

たまたま佛法に入て、習ふ所の法も、出離しゅつりの要道とは、しなさで、官位かんいならんとする程の、纔に浅猿き事に、し成んとはげむ程に、結句それまでも、勵め出さで、病付て、何とも無げに、成て死る也。嗟呼ああ、末代邊土の作法、何と成り行たる、事ともやらん。こせこせと成ける、者哉と、利口りこう事ども、有るまじきなりと云〃

憍慢けうまんと云物は、ねずみの如し。瑜伽壇ゆがだんみぎりの、諸家しょけの學窓にも、くぐり入る物なり。我常に是を、両様に申す。自ら知ずして、ほかよく知れらんに慢して、とはずまなばず大なる損也。又我より、をとりたらん者に向て、憍慢して詰臥つめふせて、又何の益かあらん。かたがた無益なり。をろのうもあり、しなも定まる程より、はや皆憍慢は起るなり。

当時とうじは酒取入とりいれて、まず殺盗婬せつとういん等の重禁じゅうきんの、其さうあらはならざれば、隨分にたもちたるは、はかりなき事なれども、未だ聖教しょうぎょうの説に任せて、振舞事もなし。昇進しょうしんならひは、既に得たらん事をば、是をみがき、未だ得ざらん所をば、取懸とりかかるべし。聖教を以て定木として、我身に引當て、謬を直すべし。是万荼羅釋まんだらしゃくに、くわしこれをのせらる。別に可見之これをたずねみるべし

昔より人を見に、心のすきもせず、耻なげにふた心なる程の者の、佛法者に成たるこそ、つやつやなけれ。此趣き契經かいきょうの中に、佛ものべ給へり。論にも見へたり。少も違はぬ事なり。我は相人さうにんと云者の持つなる、相書さうがきを見子ども、大概たいがい佛祖の御詞おことばの末を以て、推して人をも相するに、十が八九は、たがへべり。心の數寄すきたる人の中に、目出度めでたき佛法者は、昔も今も出來るなり。頌詩じゅしを作り、うた連謌れんがに携る事は、あながち佛法にては無けれ共、加様の事にも、心数寄たる人が、やがて佛法にもすきて、智惠もあり、やさしき心使つかひも、けだかきなり。心の俗に成ぬる程の者は、稽古の力を積ば、さすがなる様なれ共、何にも利かんがへがましき、有所得に、かかりて、つなたき風情を帶する也。少なくより、やさしく、數寄て、まことしき心たてしたらん者に、佛法をも教へ立て、見べきなり。

末代は、曲事くせごと月に隨ひ年に添て、假令たとひげに成て、誠しき心たてしたるは少なし。去ば、何事をすれ共、成就する事難し。

現代語訳

昔、私が(駆け出しの)小法師こほうし〈沙弥〉であった時から、愛染明王あいぜんみょうおうや五秘密などの(真言密教における)秘法も次々に覚えていった。良い学僧(の膝下)に、なんとか付こうとも思いはしなかった。ただ紙に書き奉った釈迦如来であっても、それを(どこかに)つかみ付け、お仕えしようと思っていた。釈尊の御在世であったならば、(私は)そのすぐ後ろに付いてお仕えしていただろうに。(そんな私が)また、しゅ〈弟子〉を領して、先徳の徳にも及びもしないのに、和尚〈師僧〉がましくしている有り様は、心苦しいものである。どうあっても、(釈尊の御在世であれば)こんなことはなかったであろう。仏の御前に向かい参じても、(自分に)一分の徳も無ければ、生きても何になると思っていた。私は武士の家に生を受けたため、武士と成っていたならば、わずかなこの世の一時の恥さらしだと、早く死ぬべきであったろう。(しかし、出家して)仏法に入ったからには、(武士のような)汚れた心はない。仏法の中において、また大いに強き者とならないだろうかと、思っていたのだ。

たまたま仏法に入って習った法も、出離〈解脱〉の要道とはしないで、官位となろうとする程のわずかでも浅ましい事にしようと努力するが、結局はそれすら最後まで努力することが出来ないで、病にかかり、何をしたでもなく死んでいく。ああ、末代の辺境の地の行いは、何に成り行く事もないということだろうか。なんとこせこせと(したつまらない事に)なってしまうのであろうかと、利口事であることもないだろうに。

驕慢きょうまんというものは、鼠のようである。瑜伽壇ゆがだんみぎり〈密教を兼学する諸大寺〉である諸家しょけの学窓にもくぐり入るものなのだ。私は常にこれを二様に話している。自ら知りもせず、他がよく知っているのに(その人を)侮って、問いもせず学びもしないことは大いなる損である。また、自分より劣っている者に向かって、驕り高ぶって(論難し)詰め伏せたとして、それにどのような益があるというのか。いずれにせよ無益である。多少はモノになりだし、(それぞれが)どの程度の器かわかってきた頃より、はやくも皆に驕慢は起こってくるのだ。

当時〈仏陀の当時であるのか、明恵の当時であるのか判然としない〉は酒を取り入れて飲まない。殺人・窃盗・姦淫など重大な禁戒〈波羅夷〉は(犯したかのが)顕わにならなければ、容易に護持しているかを推し量り得ない事であるけれども、(確かなのは)いまだ聖教しょうぎょうの説に従って生活していない事だ。昇進の習いとは、すでに得たことはさらにそれを磨き、いまだ得ていないことに取り掛かることである〈四正勤〉。聖教をもって定規として我が身に引き当て、(自らの)誤りを正すのである。これは『万荼羅釈』〈未詳〉に詳しく載っている。別の機会にそれを開き見よ。

昔の人を見たならば、(今の人のように)心に数寄すき〈風流・風がに心寄せること〉もせず、恥ずかしげもなく二心ふたごころを持つような者が仏法者に成ることこそ、決してなかった。この趣きは経の中で、仏もお説きになっている。(古の高僧達が著した)論書にもある。(それらに)少しも違わないことである。私は相人〈人相占い者〉と言われる者が持つ相書を見たことはないが、大概仏祖の御詞の端々を以って推測して人の相を見たならば、十中八九は外れることはない。心に数寄たる人の中に、立派な仏法者が昔も今も出るのだ。頌詩を作り、うた連謌れんがに携わることは、決して仏法では無いけれども、このような(風雅な)事にも心数寄たる人がやがて仏法にも数寄て、智慧もあり、慎ましい心使いも気高いのだ。心が俗に染まっているような者は、(熱心に和歌や詩文など)稽古の力を積んだならば、流石なる様にもなれるであろうが、(大抵は)何事につけ(名誉や財産など)利得をかんがえる執着を起こし、拙い風情を帯びるのだ。幼少の頃から、優しく数寄て実直な心立ての者に、仏法をも教えて躾てみるのが良い。

末代は、曲事くせごと〈僻事〉が月日を経て年を重ねれば、それも仮令げに成って、誠なる心立てをした者は少ない。ならば何事をしたとしても、成就する事は難しい。

脚註

  1. 小法師原こほふしばら

    年少の僧たち。沙弥ら。

  2. 愛染王あいぜんおう

    金剛薩埵の菩提心から生じたとされる明王。仏教本来からすれば否定される愛欲の力が、悟りにつながり得ることを示す。外見は恐るべき忿怒の面相を表し、三目六臂で、それぞれの手に種々の武器を手にする。

  3. 五秘密ごひみつ

    『金剛峰楼閣一切瑜伽瑜祇経』または『金剛頂瑜伽金剛菩提薩埵五秘密修行念珠儀軌』に説かれる密教の瑜伽法の一つ。五秘密は金剛薩埵五秘密の略。

  4. 和尚わじょう

    師僧のこと。和上とも。平安初期に正音として採用された漢音では「かしょう」と訓じる。
    具足戒を受けて十夏以上であり、学と行とに秀でて弟子を指導するだけの能力ある人で、実際に弟子を取っている比丘のこと。和上とは尊称でも位階でもなく、その弟子にとっての師僧。したがって、ある人にとっての和上は、師を別にする者にとっては和上ではない。

  5. 出離しゅつり

    迷いを離れ、愁い悲しみから解き放たれて解脱の境地に達すること。あるいはその為に世間を離れること。詳しくは別項「『仏説譬喩経』 ―出離のすすめ」を参照のこと。

  6. 官位かんい

    律師・僧都・僧正の僧階、あるいは法眼・法橋・法印の僧位などの官位。ここではその位を得た官僧の意であろう。当時、僧尼を統括する国家機関であった僧綱は、律令制の崩壊とともにほとんど無意味化して実権を喪失しており、ただ虚栄の名誉職と化していたがなお朝廷から扶持は出た。

  7. 憍慢けうまん

    驕慢。驕り高ぶること。思い上がって他を見下すこと。

  8. 瑜伽壇ゆがだん

    密教の修法を行うための壇。瑜伽とは[S/P]yogaの音写。ここでは密教を兼学することが通例となっていた南都の諸大寺を指したものであろうか。

  9. をろのう

    多少身に付いた能力。わずかな才能。「をろ」は接頭辞の疎(おろ)。

  10. しな

    性質、能力、器量。

  11. 当時とうじは酒取入とりいれて、まず

    「当時」は、今、現在という意味と、その頃、その時の意味があるが、ここで「当時」が、そのいずれか分明ではない。
    今の意であるならば、まさに明恵の当時のことであり、その頃の意であれば、仏陀在世あるいはその直弟子達が健在であった当時であろう。 いずれにせよ仏教徒は、僧俗総じて飲酒することが戒められている。いわゆる「飲酒戒」である。しかし、在家信者はあくまで戒であるため禁止ではなく、「飲めば自身に様々なやっかい事が生じるから飲まぬが良い」という程のもの。対して出家者には全く禁止されている。
    『栂尾明恵上人伝記』には、明恵が重い病を患ったとき、医師から暖を採って身体を養生するために少量の酒を飲むべき事を言われるが、上人はたとえ死ぬとしても断固として拒否すると言ったという逸話が伝えられている。この理由は、一つには病によって身が破れるのは一生かぎりのことであり別段の事ではないが、酒は多生を損なうので飲まないという、その信条に基づくものである。二つには、これこそ明恵の優れたる点であろうが、自分が養生の為とはいえ酒を飲めば、後代の弟子の中に「あの明恵上人でさえ酒をお召しになったのだから、我々も酒を飲んで良いのだ」などと言う者が必ず現れ、なし崩しに山中が酒の道場となるであろうから飲まない、という先見の故であったとされる。

  12. 殺盗婬せつとういん等の重禁じゅうきん

    比丘がそのいずれかを犯したらただちに比丘の資格を失い、永久に僧伽から追放となる四つの重罪。すなわち殺人あるいは殺人教唆、重窃盗、あらゆる種類の性交渉、宗教的虚言の四つ。これを四波羅夷(しはらい)罪という。

  13. 昇進しょうしんならひ

    修行によって次第に悟りつつ、順次に高い境地を得ていくこと。ここで明恵が具体的に述べているのは、いわゆる三十七菩提分法のうちの四正勤(ししょうごん)。

  14. 万荼羅釋まんだらしゃく

    曼荼羅の注釈書であろうが、いずれの書であるか不明。

  15. すき

    好きであること。または風流を好むこと。特に和歌を詠むのを好むことを言う。「数寄」と当て字で書かれる。

  16. つやつや

    まったく。決して。

  17. 契經かいきょう

    仏典の総称。狭義には仏典をその内容によって十ニまたは九種にわけられた場合の一つであり、散文で説かれている経典。

  18. 相人さうにん

    人相を見る占い者。相者(そうじゃ)とも。人相を見てその人の性質や能力・状態、はてまたは天分などを判断する人。

  19. 頌詩じゅし

    典雅な詩、祝歌。

  20. うた連謌れんが

    和歌。連歌は二人以上で、一人が読んだ五七五あるいは七七の前句に、別の者が七七あるいは五七五の歌を付して読んで作ること。当時の知識人、高等遊民が没頭した文化的、知的遊戯。

  21. 曲事くせごと

    道理に合わない事。僻事(ひがごと)。

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