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Dharmacakra
智慧之大海 ―去聖の為に絶学を継ぐ

『長阿含経』「沙門果経」

原文

佛説長阿含經卷第十七

後秦弘始年佛陀耶舍共竺佛念譯

第三分 沙門果經第八

如是我聞。一時佛在羅閲祇耆舊童子菴婆園中。與大比丘衆千二百五十人倶。

爾時王阿闍世韋提希子。以十五日月滿時。命一夫人而告之曰。今夜清明與晝無異。當何所爲作。夫人白王言。今十五日夜月滿時與晝無異。宜沐髮澡浴。與諸婇女五欲自娯。時王又命第一太子優耶婆陀。而告之曰。今夜月十五日月滿時與晝無異。當何所施作太子白王言。今夜十五日月滿時與晝無異。宜集四兵與共謀議伐於邊逆。然後還此共相娯樂。時王又命勇健大將而告之曰。今十五日月滿時。其夜清明與晝無異。當何所爲作。大將白言。今夜清明與晝無異。宜集四兵案所天下知有逆順。時王又命雨舍婆羅門而告之曰。今十五日月滿時。其夜清明與晝無異。當詣何等沙門婆羅門所能開悟我心。時雨舍白言。今夜清明與晝無異。有不蘭迦葉。於大衆中而爲導首。多有知識。名稱遠聞。猶如大海多所容受。衆所供養。大王。宜往詣彼問訊。王若見者心或開悟。王又命雨舍弟須尼陀而告之曰。今夜清明與晝無異。宜詣何等沙門婆羅門所能開悟我心。須尼陀白言。今夜清明與晝無異。有末伽梨瞿舍利。於大衆中而爲導首。多有知識名稱遠聞。猶如大海無不容受。衆所供養。大王。宜往詣彼問訊王若見者心或開悟。王又命典作大臣而告之曰。今夜清明與晝無異。當詣何等沙門婆羅門所能開悟我心。典作大臣白言。有阿耆多翅舍欽婆羅。於大衆中而爲導首。多有知識。名稱遠聞。猶如大海無不容受。衆所供養。大王。宜往詣彼問訊。王若見者心或開悟。王又命伽羅守門將而告之曰。今夜清明與晝無異。當詣何等沙門婆羅門所能開悟我心。伽羅守門將白言。有婆浮陀伽旃那。於大衆中而爲導首。多有知識。名稱遠聞。猶如大海無不容受。衆所供養。大王。宜往詣彼問訊。王若見者心或開悟。王又命優陀夷漫提子而告之曰。今夜清明與晝無異。當詣何等沙門婆羅門所能開悟我心。優陀夷白言。有散若夷毘羅梨沸。於大衆中而爲導首。多所知識。名稱遠聞。猶如大海無不容受。衆所供養。大王。宜往詣彼問訊。王若見者心或開悟。王又命弟無畏。而告之曰。今夜清明與晝無異。當詣何等沙門婆羅門所能開悟我心。弟無畏白言。有尼乾子。於大衆中而爲導首。多所知識。名稱遠聞。猶如大海無不容受。衆所供養。大王。宜往詣彼問訊。王若見者心或開悟。

王又命壽命童子。而告之曰。今夜清明與晝無異。當詣何等沙門婆羅門所開悟我心。壽命童子白言。有佛世尊今在我菴婆園中。大王。宜往詣彼問訊。王若見者心必開悟。王飭壽命言。嚴我所乘寶象及餘五百白象。耆舊受教即嚴王象及五百象訖白王言。嚴駕已備唯願知時。阿闍世王自乘寶象。使五百夫人乘五百牝象。手各執炬現王威嚴。出羅閲祇欲詣佛所。小行進路告壽命曰。汝今誑我陷固於我。引我大衆欲與冤家。壽命白言。大王。我不敢欺王。不敢陷固引王大衆以與冤家。王但前進必獲福慶。時王小復前進告壽命言。汝欺誑我陷固於我。欲引我衆持與冤家。如是再三。所以者何。彼有大衆千二百五十人。寂然無聲將有謀也。壽命復再三白言。大王。我不敢欺誑陷固引王大衆持與冤家。王但前進必獲福慶。所以者何。彼沙門法常樂閑靜。是以無聲。王但前進。園林已現。

訓読

佛説長阿含經じょうあごんきょう 卷第十七

後秦こうしん弘始こうし佛陀耶舍ぶっだやしゃ竺佛念じくぶつねんと共に譯す

くのごとけり一時いちじほとけ羅閲祇らえちぎ耆舊ぎぐ童子菴婆あんばおん中にましませり。大比丘衆だいびくしゅ千二百五十人とともなりき。

の時、阿闍世あじゃせ韋提希子いだいきし十五日のつき滿つる時を以て、一夫人ぶにんに命じてこれつげいわく、今夜、清明しょうみょうにしてひると異なることなし。まさに何をか爲作なせらるべきかと。夫人、王にもうしてもうさく、今十五日の夜、月滿つる時、晝と異なることなし。よろし沐髮もくほち澡浴そうよくして、もろもろ婇女さいにょ五欲ごよく自らたのしむべしと。時に王、又た第一太子の優耶婆陀うやばだに命じて、之に告て曰く。今夜、月十五日、月滿つる時、晝と異なることなし。當に何をか施作らるべきかと。太子、王に白して言く、今夜十五日、月滿つる時、晝と異なることなし。宜く四兵しひょうを集め、共に謀議むぎして邊逆へんぎゃくち、しかのち、此にかえりて共にあい娯樂すべしと。時に王、又た勇健ゆうごん 大將に命じて之に告て曰く、今十五日、月滿つる時、其の夜、清明にして晝と異なることなし。當に何爲作らるべきかと。大將白して言く、今夜、清明にして晝と異なることなし。宜く四兵を集め、 天下てんげ にをか 案所あんしょして逆順ぎゃくじゅんあることを知らしむべしと。時に王、又た雨舍うしゃ婆羅門ばらもんに命じて之に告て曰く、今十五日、月滿つる時、其の夜、清明にして晝と異なることなし。當に何等なんら沙門しゃもん・婆羅門の所にいたりく我が心を開悟かいごせしむべきかと。時に雨舍、白して言く、今夜、清明にして晝と異なることなし。不蘭ふらん迦葉かしょう有て、大衆だいしゅの中に於て導首どうしゅたり。多く知識有て、名稱みょうしょう遠く聞へたり。大海たいかい容受ようじゅする所多きが如く、しゅに供養せらる。大王、宜く彼に往詣おうけいして問訊もんじんすべし。王、し見れば、あるいは開悟せんと。王、又た雨舍の弟、須尼陀しゅにだに命じて之に告て曰く、今夜、清明にして晝と異なることなし。宜く何等の沙門・婆羅門の所に詣て能く我が心を開悟せしむべきかと。須尼陀、白して言く、今夜、清明にして晝と異なることなし。末伽梨まっがり瞿舍利ぐしゃり有て、大衆の中に於て導首たり。多く知識有て、名稱遠く聞へたり。猶ほ大海の容受せざる無きが如く、衆に供養せらる。大王、宜く彼に往詣して問訊すべし。王、若し見れば、心或は開悟せんと。王、又た典作てんさ大臣に命じて之に告て曰く、今夜、清明にして晝と異なることなし。當に何等の沙門・婆羅門の所に詣て能く我が心を開悟せしむべきかと。典作大臣、白して言く、阿耆多あじた翅舍ししゃ欽婆羅こんばら有て、大衆の中に於て導首たり。多く知識有て、名稱遠く聞へたり。猶ほ大海の容受せざる無きが如く、衆に供養せらる。大王、宜く彼に往詣して問訊すべし。王、若し見れば、心或は開悟せんと。王、又た伽羅きゃら守門將に命じて之に告て曰く、今夜、清明にして晝と異なることなし。當に何等の沙門・婆羅門の所に詣て能く我が心を開悟せしむべきかと。伽羅守門將、白して言く、婆浮陀ばぷだ伽旃那きゃせんな有て、大衆の中に於て導首たり。多く知識有て、名稱遠く聞へたり。猶ほ大海の容受せざる無きが如く、衆に供養せらる。大王、宜く彼に往詣して問訊すべし。王、若し見れば、心或は開悟せんと。王、又た優陀夷うだい漫提子まんだいしに命じて之に告て曰く、今夜、清明にして晝と異なることなし。當に何等の沙門・婆羅門の所に詣て能く我が心を開悟すべきかと。優陀夷、白して言く、散若夷さんじゃい毘羅梨沸べらりぷつ有て、大衆の中に於て導首たり。知識する所多く、名稱遠く聞へたり。猶ほ大海の容受せざる無きが如く、衆に供養せらる。大王、宜く彼に往詣して問訊すべし。王、若し見れば、心或は開悟せんと。王、又た弟無畏むいに命じて之に告て曰く、今夜、清明にして晝と異なることなし。當に何等の沙門・婆羅門の所に詣て能く我が心を開悟せしむべきかと。弟無畏、白して言く、尼乾子にかんし有て、大衆の中に於て導首たり。知識する所多く、名稱遠く聞へたり。猶ほ大海の容受せざる無きが如く、衆に供養せらる。大王、宜く彼に往詣して問訊すべし。王、若し見れば、心或は開悟せんと。

王、又た壽命じゅみょう童子に命じて之に告て曰く、今夜、清明にして晝と異なることなし。當に何等の沙門・婆羅門の所に詣て我が心を開悟すべきかと。壽命童子、白して言く、佛世尊せそん有て、今ま我が菴婆あんば園中にましませり。大王、宜く彼に往詣して問訊すべし。王、若し見れば、心必ず開悟せんと。王、壽命にただして言く、我が所乘の寶象ほうぞう及びの五百の白象びゃくぞうかざれと。耆舊ぎぐおしえを受て即ち王象及び五百象を嚴りおわりて、王に白して言く、かごを嚴て已に備われり。だ願くは時を知れと。阿闍世王、自ら寶象に乘じて、五百の夫人ぶにんをして五百の牝象に乘ぜしむ。手におのおのかがりびを執て王の威嚴を現じ、羅閲祇らえつぎを出で、佛の所にいたらんとほっす。すこしく行進ぎょうしんしてみちに壽命に告て曰く、汝、今ま我をたぶらかし我を陷固かんこして、我が大衆だいしゅを引て冤家おんけあたへんと欲するやと。壽命、白して言く、大王、我れあえて王をあざむかず。敢て陷固して王の大衆を引て以て冤家に與へず。王、だ前進せば必ず福慶ふくきょうと。時に王、小しく復た前進して壽命に告て言く、汝、我を欺誑し我を陷固し、我が衆を引て持て冤家に與へんと欲するやと。是くの如きこと再三さいさん所以者何ゆえいかんとなれば、彼に大衆千二百五十人有れども寂然じゃくねんとしてこえ無く、まさはかりごとあるべきとすればなり。壽命、た再三もうしてもうさく、大王、我れ敢て欺誑し陷固して王の大衆を引て持て冤家に與へず。王、但だ前進せば必ず福慶を獲ん。所以者何、彼の沙門の法は常に閑靜げんじょうねがふ。是れを以てこえ無きなり。王、但だ前進すべし。園林おんりんすでに現ずと。

脚註

  1. 長阿含經じょうあごんきょう

    阿含は[S/P]āgamaの音写で「伝えられたもの」・「伝承」を意味し、仏教では特に第一結集および阿育王時代頃までに編纂された諸々の経典をいう。分別説部における阿含はその内容などによって長部(Dīgha Nikāya)・中部(Majjhima Nikāya)・小部(Khuddaka Nikāya)・相応部(Saṃyutta Nikāya)・増支部(Anguttara Nikāya)の五種が伝えられるが、支那では特定の部派の阿含がまとまって伝えられず、いくつかの部派の阿含が断片的にもたらされて、長阿含経・中阿含経・雑阿含経・増一阿含経の四種のみ漢訳された。これを一般に四阿含という。長阿含経あるいは長部とは、所収の経典が比較的長い分量のあるもので構成されていることによる称。

  2. 後秦こうしん弘始こうし

    後秦は古代支那の五胡十六国の一で、羌族姚氏によって建てられた国。弘始は第2代皇帝姚興の治世にて用いられた元号。西暦399年5月から416年正月まで。

  3. 佛陀耶舍ぶっだやしゃ

    Buddhayaśas. 四、五世紀の印度僧。罽賓(カシミール)出身。非常なる記憶力を有していた優れた学僧であったといい、亀茲国の鳩摩羅什に律および阿毘達磨を教授した人。鳩摩羅什が後秦に入った後、招聘されて長安に来たり、『四分律』および『長阿含経』などを訳出した。生没年不明。

  4. 竺佛念じくぶつねん

    前秦・後秦の両朝にわたって訳経に携わった支那僧。涼州(現甘粛武威)出身。印度僧・胡僧の伝えた仏典を可能な限り正確に訳そうと努め、仏陀耶舎と共に『長阿含経』・『四分律』を訳したばかりでなく、他に『法句経』の同系統異本『出曜経』や阿毘達磨の論書などいくつか重要な典籍の漢訳を果たした。

  5. 沙門果經しゃもんかきょう

    パーリ三蔵『長部』所収のSamaññaphala Suttaに対応する経。釈尊在世当時、世に指示されていた著名な自由思想家(沙門)であった六師外道の主張の概要が説かれ、それに対して仏教の沙門となること、そして沙門として道を修めることの果報が示された経典。

  6. くのごとけり

    [S]evaṃ mayā śrūtam / [P]evaṃ me sutaṃの漢訳。漢語の文法として正しくは「我聞如是」であるが、特に鳩摩羅什以降、梵語の語順のままに「如是我聞」と訳すことが一般化した。ここでいわれる「我」とは、その他の作供養人(侍従)の中でも最も長く二十五年という年月を側仕えた尊者阿難(Ānanda)。釈尊が入滅して三ヶ月後に開かれた第一結集において、まず律蔵が編纂されて後に、聴き憶えた釈尊の言葉を五百羅漢を前に誦出しようとした冒頭、阿難尊者が「evaṃ mayā śrūtam(このように私は聞いた)」と初めたことに由る定型句。

  7. 一時いちじ

    [P]ekaṃ samayaṃ. ある時。この経における「ある時」とはいつのことか。それは本経の対告衆である阿闍世王(後述)が父王を殺害し王位について後のことであり、また耆舊(耆婆)が阿闍世王に臣属していた時のことであるから、それは釈尊七十歳以降の晩年に差し掛かる折のことであった。

  8. ほとけ

    [S/P]Buddhaの音写、佛陀の略。そもそもBuddhaとは、その語源が√bud(目覚める)+ta(過去分詞)→連声→buddhaであって「目覚めた人」の意。(それまで知られなかった真理に)目覚めた人、悟った者であるからBuddhaという。仏陀とはあくまで人であった。
    支那にとって外来語であったBuddhaは当初「浮屠」・「浮図」などとも音写されたが、後にBudhに「佛」の字が充てられ「佛陀」あるいは「佛駄」との音写も行われ、やがて略して「佛」の一文字で称するようになって今に至る。それら音写のいずれにも「屠」や「駄」・「陀」など、いわば好ましからざる漢字が当てられている。そこには当時の支那人における外来の文物を蔑視し、矮小化しようとする意図が明らかに現れている(この傾向はその後も比較的長く見られる)。 そもそも「佛」という一文字からも、当時の支那人におけるいわば「Buddha観」を見ることが出来る。『説文解字』では「佛」とは「見不審也(見るに審らかならず)」の意とする。また「佛」とは「人+弗」で構成されるが、それは「人にあらざるもの」・「人でないもの」を意味する。ここからも、当時の支那人にはBuddhaをして「人ではない」とする見方があったことが知られる。事実この『四十二章経』の序文にて「神人」と表現されているように、往時の彼らにとって佛とはあくまで超常的存在であって人ならざるものであった。
    なお、日本で「佛(仏)」を「ほとけ」と訓じるのは、「ふと(浮屠)」または「没度(ぼだ)」の音変化した「ほと」に、接尾辞「け」が付加されたものである。この「け」が何を意味するかは未確定で、「気」または「怪」あるいは「異」が想定される。それらはいずれもおよそ明瞭でないモノ、あるいは特別なモノを指すに用いられる点で通じている。日本語の「ほとけ」という語にも、漢字の「佛」に潜む不明瞭なものとする理解が含まれているのだ。

  9. 羅閲祇らえちぎ

    [S]Rājagṛha / [P]Rājagaha. 摩伽陀([S/P]Magadha)国の首都。恒河(ガンジス川)中流域に興って、仏在世当時すでに諸国乱立する中でも大きな力を有しており、仏滅後にはやがて初めて(印度南端部を除く)全印度を統一する王朝にまで隆盛する(ただしその時の都はPātaliputra)。羅閲祇は四方を山に囲まれた天然の要害となっており、その周囲は荒涼とした乾燥地帯であるのに対して森林の広がる豊かな地。

  10. 耆舊ぎぐ童子

    [S/P]Jīvaka. ジーヴァカ。古代印度、摩伽陀国における伝説的名医。『四分律』では阿闍世の兄弟、無畏(Abhaya)が遊女との間にもうけた庶子であったとされ、奇しくもその母に捨てられたのを無畏に拾われ、無畏は我が子であることを知らずに養育したという。長じて医師となった後は外科的開腹・開頭手術を行っていたと伝えられる。その優れた医術によって王族・豪族らに重宝され、当時相当な富豪となっていたと思われる。釈尊に帰依した後は僧伽に属する比丘らの治療に携わった。
    ここでジーヴァカは「童子」とされているが、この時すでに彼は高名な医者として不動の地位にあったため不適であろう。本経の同系統異本のSamaññaphala Suttaでは「komārabhacca」すなわち小児科医とあり、これを童子と漢訳したものと考えられる。

  11. 菴婆あんばおん

    菴婆は[S/P]ambāあるいはambaの音写でマンゴーの意。菴婆園(ambavana)はジーヴァカが所有していたマンゴー園。

  12. 阿闍世あじゃせ韋提希子いだいきし

    阿闍世は[S]Ajātashatru / [P]Ajātasattuの音写で摩伽陀国王。父王の頻婆娑羅(Bimbisāra)を殺害して王位を簒奪した。韋提希は[S]Vaidehī / [P]Vedehīの音写で、父王頻婆娑羅の后すなわち阿闍世の母の名。阿闍世が韋提希の子であったことから韋提希子(Vaidehīputra)とも言われた。

  13. 十五日のつき滿つる時

    本経ではただ満月の日(白月十五日)とのみされているが、Samaññaphala Suttaにては単なる満月の日ではなく、「Komudī」の日であったとする。[P]Komudī([S]Kaumudī)とは「白睡蓮」を意味し、それが古代印度の暦における[S]Kārttika([P]Kattikā)月頃に満開を迎えることから、その月の満月の日を指すようになった。そしてKārttika月の満月の日とは雨季のあける日であって、当時の印度においても特別意義深い日であったと思われる。そしてその習俗を仏教の僧伽もその行儀としても取り入れたことにより、仏教でも雨安居(後安居)の終わる日すなわち自恣の日となって特別な意義ある日。それは古代支那の暦いわゆる旧暦に置き換えたならば九月十五日であって、今用いられる新暦でいえば十月中旬頃。

  14. 五欲ごよく

    眼・耳・鼻・舌・身の五根それぞれの感覚対象である色・声・香・味・触の五境に対して起こす欲望。

  15. 優耶婆陀うやばだ

    [P]Udayabhaddaの音写。シャム本やセイロン本では「Udāyibhadda」。阿闍世王の長子。

  16. 四兵しひょう

    古代印度における四つの兵種。象兵・馬兵・車兵・歩兵。

  17. 雨舍うしゃ婆羅門ばらもん

    未詳。あるいは雨舎は[S]uṣaあるいは[P]ussaの音写か?なおSamaññaphala Suttaでは、阿闍世から諮問され提言する大臣(rājāmacca)らの名前は特に挙げられておらず、ただ「或る大臣(aññatara rājāmacca)」とのみされている。
    婆羅門は[S]brāhmaṇaの音写で、印度古来の聖典、諸々のVeda(ヴェーダ)を中心とする思想・祭祀などを伝える司祭者階級に属する者。印度におけるいわゆる四姓制度(カースト制)の最上位に位置する者。とはいえ、本経で王族に仕える者として描かれているように、四姓制度で最上位にあるといっても、彼らが政治を司って人々を支配していたということはなかった。当時、特に摩伽陀国など恒河中流域に展開した諸国はヴェーダや婆羅門らの権威を必ずしも受容しておらず、故に他の地方の婆羅門からそれを批判され蔑視されていたことが知られるが、それを意に関する必要はない程度にそれら諸国は繁栄し、次第に強大な力を有していった。

  18. 沙門しゃもん

    [S]śramaṇa / [P]samaṇaの音写。原意は努める者。桑門とも音写され、または勤息などと漢訳される。
    印度古来のヴェーダを奉じる宗教者・祭祀者たる婆羅門に対し、ヴェーダの権威を必ずしも肯定・継承せず、それに縛られずして自由な思想を奉じ実践する者を沙門といった。したがって特に仏教の出家修行者に限って用いられた称でなく、本経においても婆羅門とは異なる自由思想家一般の意で言われてる。ただし、仏教圏では特に比丘を指す語として用いられる。

  19. 不蘭ふらん迦葉かしょう

    [S]Pūraṇa-kāśyapa / [P]Pūrāṇa-kassapa. プーラナ・カッサパ。仏在世当時、仏陀および仏教僧以外で高名であった沙門いわゆる六師外道の一人。
    人は永遠不滅の魂を有しているが、仮に人が善・悪いずれの行為を為したとしてもその行為の結果には何ら影響を及ぼすものではないという、因果を否定したいわゆる非業論を説いた。

  20. 大衆だいしゅの中に於て導首どうしゅたり

    Samaññaphala Suttaにおける該当箇所では「saṅghī ceva gaṇī ca gaṇācariyo(僧伽の主であって、集団の師である)」。

  21. 問訊もんじん

    思いやりを以て体調の良し悪し、生活における不都合の有無など問うこと。

  22. あるいは開悟せん

    [P]cittaṃ pasīdeyyā. pasīdatiは明瞭となる、喜ぶ、清らかとなるの意。
    パーリ語の経文に比したならば「開悟」との漢語から想起される義とは齟齬することに注意。ここではより軽く、単に「心が晴れやかとなる」程度の意に解すべきであろう。

  23. 須尼陀しゅにだ

    未詳。雨舎の弟とされるから婆羅門であり、また大臣の一人であったのであろう。『増一阿含経』所収の類本で「須尼摩大臣」と同一人物と思われる。

  24. 末伽梨まっがり瞿舍利ぐしゃり

    [P]Makkhali gosāla. マッカリ・ゴーサーラ。六師外道の一人。両親が巡礼中に牛小屋([S]gośālā / [P]gosālā)にて生まれたことからの称とされる。
    後述する尼乾子と六年間修行を共にしたというが、彼と別れて二年後に悟りに至ったとされる。
    この世は霊魂・地・水・火・風・虚空・得・失・苦・楽・生・死という十二の根本要素によって構成されており、それらの結合によって世界が展開していると主張した。しかし、その結合はまったく偶発的であって純粋にそれら諸要素の性質・傾向にしたがうものとする。したがって、人もそれら諸要素で構成されたものである以上、そこに自由意志なるものは存在し得ず、ただそれら要素のあり様(ただし、そこに因果関係や特定の法則は無く、すべて偶発的であるという)にしたがって動いているに過ぎないという、いわば決定論・宿命論を説いた。これは近代のピエール゠シモン・ラプラスが説いた決定論、あるいは現在のAI研究者や一部の科学者などが信奉する「人に自由意志など存在しない」という主張と近似した見方であると言える。
    彼の思想はĀjīvika(アージーヴィカ教)と言われ、仏教からは邪命外道といわれる。その昔修行をともにした尼乾子のジャイナ教と同じく、苦行を努めとして裸形にて過ごすなど多く共通点が見られ、仏在世および仏滅後以降も世に信奉する者が多くあったようであるが、やがてジャイナ教に吸収されたようで現存しない。

  25. 阿耆多あじた翅舍ししゃ欽婆羅こんばら

    [P]Ajita Kesakambalin. アジタ・ケーサカンバリン。毛髪(kesa)の布(kambala)をまとっていたことからKesakambalinと称された、六師外道の一人。律蔵に「毛髪で出来た布」を仏教の出家者が着用することを禁止する条項があることから、当時の印度でそのようなものを良しとする伝統あるいは沙門が実際にあったのであろう。
    世界の事物はすべて地・水・火・風の四元素(四大)によってのみ構成されており、人もまた然りであって、人の死とはその構成要素がただ霧散するに過ぎないとした。したがって、人に魂などなく、また過去世も未来世もなく善悪の業報も存在せず、いかなる宗教も道徳も根拠を欠いた無意味なものとした。すなわち、人の精神は物質(四大)の作用、あるいは副次的な現象に過ぎないとされる。そのような世界で人は快楽を可能な限り追求すべきとする快楽主義を説いた。印度における唯物論の先駆であり、その後裔はLokāyataあるいはCārvākaと称される一派を形成した。仏教はこれを順世外道と称する。
    ギリシャにおけるエピクロスに近似した思想家であり、その教団であったのであろう。

  26. 婆浮陀ばぷだ伽旃那きゃせんな

    [S]Kakuda-katyāyana / [P]Pakudha-kaccāyana. パクダ・カッチャーヤナ。六師外道の一人。
    世界に実在するのは地・水・火・風の四元素と、苦・楽の感覚、そして生命という七要素のみであって、それぞれ独立した存在であって互いに何の影響も及ぼさず、したがって永遠に不変不滅なものであると主張した。人はそのような七つの要素で構成されているが、人とはいわば虚無なるものであって、故になんの力も有しておらず、特定の原因や条件などなくして苦しみ、また楽を得ると考えた。漢訳の本経では抽象的で漠然とその思想が語られているが、Samaññaphala Suttaでは彼の思想はより具体的に述べられており、たとえばある者が人の頭部を刀で両断したとしても、それは刀が人を構成する七要素に間隙を生じたに過ぎず、生命を壊し奪うことにはならないという。アジタ・ケーサカンバリンに同じく唯物論者であり、また道徳否定論者という点も同様であったが、個別の魂というのではない普遍的な生命を一要素と考え、また苦・楽という感覚をも普遍的要素としている点に特色がある。

  27. 優陀夷うだい漫提子まんだいし

    [S]Udāyin? 阿闍世王の臣下の一人であろうが未詳。

  28. 散若夷さんじゃい毘羅梨沸べらりぷつ

    [P]Sañjaya Belaṭṭhiputta. サンジャヤ・ベーラッティプッタ。六師外道の一人。Samaññaphala Suttaでは、サンジャヤ・ベーラッティプッタが六師外道の中で最後に挙げられるが、本経では五番目に出される。後述するニガンタ・ナータプッタと順序が逆となっているのである。
    この世の真理を如実に認識し説明することは不可能であると、いわゆる不可知論を説き、また形而上学的問いに対しては判断中止して解答を避ける懐疑論の立場を取った。実際の彼の解答は、例えば「汝がもし「来世はあるのか」と私に問うたとして、私がもし「来世はある」と考えたならば、「来世はある」と汝に答えるであろう。しかしながら、私はそうとも考えず、そうでないとも考えず、その他であるとも考えず、そうではないとも考えずそうではないこともないとも考えない」というものであり、結局故に何を言いたいのかわからない「鰻論者」であると評された。古今東西問わず探求すべき命題、諸々の賢者によって思索が重ねられた形而上学諸問題について、当時の印度において不可知論をおそらくは初めて唱えたことに非常な意義があったが、彼自身にその主張を支える強固な論理・思想があったか不明であるが、おそらくはただ不可知論をもって他に対していただけのことであったろう。
    なお、サンジャヤの主張は近代、十九世紀末にルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの唱えた「語り得ぬものについては、沈黙せねばならない」という態度とは異なる。

  29. 無畏むい

    [S/P]Abhaya. 阿闍世王の弟。『四分律』では耆婆の父であると伝えられる。

  30. 尼乾子にかんし

    [S]Nirgrantha-jñāniputra / [P]Nigaṇṭha Nātaputta. ニガンタ・ナータプッタ。六師外道の一人で、ジャイナ教の祖。VardhamānaあるいはMahāvīraと称される。紀元前十世紀頃にあったPārśva(Pāsa)の思想(Nigaṇṭha派)を継承、改革して独自の道を説いた。釈尊とほぼ同世代の人でJina(勝者)と讃えられ、今に至るまで特に南インドにおいて存している。Samaññaphala Suttaでは六師外道として第五番目に挙げられるが、本経では最後に出されている。
    真理は認識可能であるけれども、それを表現するのには言葉によって多様に言い表されるべきもの、「ある観点からすれば」と限定的・相対的にのみ言えるものであると主張した。また、その出家修行者は不殺生・真実語・不偸盗・不淫・不所有の五戒を厳格に護るべきことを言い、特に不殺生と不所有を厳格に実行した。したがってその修行者は一糸まとわぬ裸形(後に体を最低限隠す白衣派が生じる)である。不所有をいうものの、しかし、不殺生を厳密に保つため、口に微細な虫などを吸い込まぬようマスクを着用し、また足で微細な生物を踏まぬよう箒を携え、水漉しを具えた水瓶など必要最低限の物は常に携帯する。世界観としては仏教に近似する点が多いが、文字通りの苦行を肯定し讃美するなど、仏教からすれば極端な思想や実践を有している。ニガンタ・ナータプッタもまた仏陀であると自他に称していたが、本経ではその思想内容を明かさずただ自身を一切智者であるとのみ答えたとされている。

  31. 壽命じゅみょう童子

    耆舊童子、耆婆(ジーヴァカ)に同じ。

  32. 世尊せそん

    [S]Bhagavat / [P]Bhagavant. 幸ある人、輝ける人。仏陀の異称、如来の十号の一。

  33. ただして

    勅に同じ。命ずること。字義としては質す、正す、戒める、教えるの意。

  34. 冤家おんけ

    怨家。敵。自身に対して敵意・悪意を持つ者。

仏陀の言葉