九に作衣法を明す。三衣は並びに須く割截すべし。財少なくして辨じ難くんば、則ち揲葉を聽す。五條の一種は、復た襵葉を開す。四分の中には、大衣は五日に成らざれば、尼は提、僧は吉なりと鼻柰耶に準らば、七條四日、五條二日なり。十誦には、須く却刺すべし。直縫することを得ず。前へ縁を去ること四指に、鞙音は絃、鉤なりを施せ。後ろ縁を去ること八指に紐を施せと。今時は臂を垂れて前は八、後は四。倶に顛倒なり。又、鈎紐を安ずる處に以て方物を揲するは、本と助牢に在り。而るに目て壇子と云ふは非なり。三千威儀に云く、四角に揲を安ずべしと。四分に云く、挽いて角をして正しからしむ等と。世に四天王と云ふは亦た非なり。四分には、肩の上に須く障垢膩處に揲すべしと。次に正從を明すとは、大衣九品は本と須く割截すべし。衣財足らざれば、則ち揲葉を開す。二九ならば則ち十八種と成る。衣猶ほ足らざれば、七條を從衣と爲すことを聽す。是の如く次第に開して縵衣縵と言ふは條相無きが故なりに至る。三衣の正從に各の二十四種有り。大衣の正に十八種有り割と揲と名九。 從に則ち六有り二の七條、三の五條、一の縵衣。七條の正衣に二有り割と揲と二なり。從に二十二有り大衣十八、五條三、縵衣一なり。五條の正衣に三有り割と揲と襵なり。從に二十一有り大衣十八、七條二、縵衣一。總じて計ふるに七十二品あり。縵は三用に通ず。然れども本と是れ沙彌の衣なり。律に沙彌を制して、二縵衣を著せしむ。一は七條に當てて入衆せしめ、一は五條に當てて作務せしむ衣相未だ正しからず。故に但だ當と云ふ。當の字去に呼ぶ。今時は剃髮すれば、即ち五條を著せしむ。僣じて大僧に濫す。深く本制に乖く。師長の有識、請ふ、聖教に依れ。受戒に至るに及んで多く衣鉢無し。律に師をして辨ぜしむ。誰か復た依行せん。但だ時に臨むに至て、人從り瓦盆・油鉢、陳朽の大衣を借り受く。沙彌は是非を識らず。闍梨、何ぞ曾て檢校せん。律に云く、若しは無く、若しは借らば、受具と名づけずと。豈に少し許りの資財を惜んで、一生をして無戒ならしむることを得んや。虚しく信施を食せば、萬劫に沈流す。實に悲痛なるべし。往く者は諫むべからずと雖も、而も來る者は猶ほ追ふべし。
十に加法行護。初めに加法とは、必らず次第に從て、先ず五條を加ふべし。十誦の文に準ず大徳一心に念ぜよ。我比丘某甲、此の安陀會は五條の衣なり。一長一短の割截衣を受けて持つ三説す。揲葉と襵葉は隨て改めよと。中衣は則ち云ふべし、此の欝多羅は七條の衣なり。兩長一短の割截衣を受けて持つと。大衣は則ち云ふべし。此の僧伽梨は二十五條の衣なり。四長一短の割截衣を受けて持つと。餘の詞は上に同じ。次に捨法を明す。僧祇の文に準ず大徳一心に念ぜよ。我某甲、此の安陀會は是れ我が三衣の數にして、先に受持せり。今捨す一説す。餘の二は準じて改むべし。並びに須く明律の者を求めて、對首に之を作すべし。次に行護を明す。十誦には、三衣を護ること自の皮の如くし、鉢は眼目の如くせよ。大衣を著して木石土草を摙ぶことを得ず。掃地等の種種の作務、應に之を爲すべからずと。決正二部律論には、大衣を著して村に入り、師僧・上座・別人を見て禮することを得ずと佛及び衆僧は禮することを得。十誦には、所行の處、衣と鉢と倶にして、顧戀する所無し。猶ほ飛鳥の如くすべし。若し三衣を持たずして聚落に入れば罪を犯すと。僧祇に云く、當に塔想の如くすべしと。祖師云く、諸部竝びに制して身に隨はしむ。今時、但だ宿を護るは、教に應ぜざるなり。
第九に作衣法を明らかにする。三衣はすべて須く割截したものでなければならない。しかしもし、財力が少ないがために(割截衣を)用立てることが出来ない者であるならば、揲葉が許されている。五条袈裟については、また襵葉も許されている。『四分律』では、大衣は五日以内で縫製出来なければ、比丘尼ならば波逸提、比丘ならば突吉羅であると定められている『鼻柰耶』に準じたならば、七条は四日、五条は二日である。『十誦律』には、「須く却刺〈返し縫い〉しなければならない。直縫〈並縫い〉してはならない。(衣の)表に縁より四指の箇所に鞙音は絃、鉤であるを施せ。裏側は(縁から)八指に紐を施せ」とある。今時は臂を垂れて表を八指、裏を四指としており、裏表共に逆さまとなっている。また、鈎・紐を設ける箇所に四角の布を揲するのは(鈎・紐を付したことによる)破損を防ぎ堅牢にするためである。しかるに、これを名付けて壇子などとするのは誤りである。『大比丘三千威儀』〈以下『三千威儀』。これに該当する一節なし〉には、「(衣の)四角に揲を縫い付けなければならない」とある。『四分律』には、「挽いて角をして正しからしむ」等とある。今の世にこれを「四天王」などと称しているのは誤りである。『四分律』には、「肩の上の障垢膩處〈垢や皮脂を遮る箇所〉に縫い付けなければならない」とある。次に正衣・従衣を明らかにする。大衣の九品〈九条から二十五条までの奇数条の大衣九種類〉は必ず須く割截衣でなければならない。衣財が足らない場合は揲葉が許される。二九〈割截衣と揲葉衣との各九品〉ならば十八種となる。どうしても衣が(三衣すべてを)揃えることが出来ない場合は、七条を従衣〈例外的・一時的に、諸事情で保持できない衣の代用とする衣〉とすることが許されている。そのようにして(様々な例外措置が)次第に許され、縵衣縵とは条相が無いことからそう呼称されるが許されるようになったのだ。三衣の正衣・従衣には、それぞれ二十四種がある。大衣の正衣には十八種ある割截衣と揲葉衣とにそれぞれ九種ある。 従衣には六種ある割截衣と揲葉衣の七條、割截衣と揲葉衣と襵葉の五条、一種の縵衣。七条の正衣には二種ある割截衣と揲葉衣との二種。従衣には二十二種ある大衣十八種・五条三種・縵衣一種。五条の正衣に三種ある割截衣と揲葉衣と襵葉衣。従衣に二十一種ある大衣十八種・七条二種・縵衣一種。総じて数えるに七十二品がある。縵衣は三衣に通じるものではあるが、本来沙弥の衣である。律には、沙弥をして二つの縵衣を着用させることとなっている。その内の一つは七条に該当するものとして入衆の際に着用させ、一つは五条に当たるものとして作務の際に着用させる衣相が正式なものではないために、ただ「当たる」という。当の字は去に発音する。今時は剃髮(して沙弥となった者)であれば直ちに五条を着ている。不相応にも比丘の領分を犯し乱している。甚だしく本制に乖いた有り様である。師長の有識者に請う、(誤った習慣に依ること無く)聖教にこそ依拠して行事せんことを。実際、(比丘となるべく具足戒を)受戒する際には、多くの者が衣鉢を備えてすらいない。律には、師がそれらを用立てるものとなっている。(得度受戒の師たる者以外に、その弟子の受者をして)誰が聖教に依行させ得るというのか。ただ受戒する時に臨んで、他人より瓦盆や油鉢、陳朽〈古く傷んでいること〉の大衣を借り受けている始末である。(律の規定について、これから受戒に望む)沙弥はその是非など知るわけがない。闍梨〈阿闍梨。ここでは師僧の意〉たる者がどうしてこの(衣・鉢の有無、またはその如法・不如法などを)調べ監督しないのであろうか。律には、「(具足戒を受けるに際し、受者が三衣・鉄鉢・坐具・漉水曩を)あるいは所有しておらず、あるいは借用していたのであれば、受具は成立しない」とある。一体どうして少しばかりの資財を惜しみ、一生をして無戒たることを放置出来るであろうか。(不如法の受具によって無戒でありながら、比丘を称して)虚しく信施を食したならば、万劫もの永きにわたって(生死苦海に)沈流するのである。実に悲痛なことである。往く者は諫むべからず。来る者はなお追うべし〈『論語』微子の一節「往者不可諫。來者猶可追」の引用。過去のことを諌めても変えることは出来ないが、未来は変えることが出来るのであるから努めて変えるべきである、の意〉。
第十に加法行護。初めに加法とは、必ず次第に従って、先ず五条を加えよ。以下、『十誦律』の文に準じる「大徳一心に念ぜよ。我比丘某甲、此の安陀会は五条の衣なり。一長一短の割截衣を受けて持つ」三説する。揲葉と襵葉の場合は隨って改めよと。中衣は則ち云え、「この欝多羅は七条の衣なり。両長一短の割截衣を受けて持つ」と。大衣は則ち云え。「この僧伽梨は二十五条の衣なり。四長一短の割截衣を受けて持つ」と。その他の詞は上に同じ。次に捨法を明らかにする。『摩訶僧祇律』の文に準ずる「大徳一心に念ぜよ。我某甲、此の安陀会は是れ我が三衣の数にして、先に受持せり。今捨す」一説す。他の二は準じて改めよ。並びに須く明律の者を求め、対首によってこれを作せ。次に行護を明らかにする。『十誦律』には、「三衣を護ること自の皮の如くし、鉢は眼目の如くせよ。大衣を著して木・石・土・草を摙ぶことを得ず。掃地等の種種の作務、まさにこれを為すべからず」とある。『決正二部律論』には、「大衣を著して村に入り、師僧・上座・別人を見て礼することを得ず」とある仏、及び衆僧には礼することが出来る。『十誦律』には、「所行の処、衣と鉢と倶にして、顧恋する所無し。あたかも飛鳥のようにせよ。もし三衣を持たずして聚落に入ったならば罪を犯す」とある。『摩訶僧祇律』には、「まさに塔想の如くすべし」とある。祖師〈道宣〉は、「諸部はいずれも制して(三衣を常に)身に肌身放さずせよとしている。今時のただ宿を護るのみは、(仏の)教えに応じたものでない」という。