四には失否の相を明す。律鈔には三斷有り。一には、律の中に奪・失・燒・漂・壞の五想即ち情礙なり、水陸の道、斷ず。若しは賊・惡獸・命・梵等の難此は是れ隔礙、必ず上の縁有らば、但だ受法を失して捨墮を犯ぜず。二には、若し先より慢にして護らざるに、後に難縁ありと雖も、法を失し罪を犯ず。三には、若し恒に領受を懷き、諸難忽ちに生じて往て會ふに及ばざるは、亦法を失せず。亦た罪有ること無しと事須く眞實なるべし。倚濫するべからず。又問ふて曰く、忘れて衣を持せずして外に行て、夜に至りて方めて覺す。取會するに縁無くんば、衣を失せんや否やと。答ふ、彼の人恒に自ら將に身に隨ふ。忽に忘れたるは長衣に例同して之を開す長衣を忘れて説淨せざるは犯にあらず。更に十日を開す。
三に著法を明す。律には齊整に三衣を著せしむ。三千威儀には、著する時、佛塔・上座・三師に向ふことを得ず。亦た背くこと莫れ。口に銜み、及び兩手を以て奮ふことを得ずと。鼻柰耶には、應に肩の上に挑げ著くべし。臂・肘に垂ることを得ずと。此は是れ前の制なり。感通傳には、天人の告ぐる所、凡そ四制を經たり。初め五人を度してより已來、竝びに袈裟を左の臂に制して、座具を袈裟の下に在かしむ。次に年少の美貌、城に入て乞食するに、多く女に愛せらるが爲に、遂に制して衣角を左の肩に在て、坐具を以て之を鎭めしむ。復た次に、因て比丘、外道に難ぜられて云く、豈に所座の布を以て法衣の上に居くことを得んやと。此れ從り還りて制して、左臂に著けて坐具を下に在しむ。最後に比丘の衣を著すること齊整ならざるに因て、外道譏て云く、婬女の如く、象鼻の如しと。此に由て始めて、上に鉤紐を安くことを制し、衣の角を以て左の臂に達して腋の下に置かしむ。垂て上の過の如くならしむることを得ざるなり。今は則ち宜く後の制に從ふべし。然れども肩の上に搭けず、若は肘臂に垂るるは、定んで是れ非法なり。衆學の中の制罪なるを以ての故なり。
四に補浣を明す。十誦には、衣服は常に須く淨潔如法なるべし。爾らざれば則ち人・非人訶すと。善見には、大衣と七條と廣の邊は八指、長の邊は一搩手の内、穿たるは受を失せず。五條は廣の邊四指、長の邊一搩手の内、穿たるは失せず。餘處、穿ること小指の甲許りの如くなるも受を失す。補ひ竟りて受持せよと。多論には但だ縁をして斷えしむれば則ち受を失す。善見には、袈裟若し大ならば減却し、若し小くば物を以て之を裨くべし。若しは浣ひ、若しは色を増し、若しは色を脱し、色を上るは、皆受を失せず等と云云。
第四には失否の相を明らかにする。『律鈔』〈『行事鈔』〉では三断有るとされ、一つには、「律の中にて言われる奪・失・燒・漂・壊の五想すなわち情礙、あるいは水陸の道が断じられ、もしくは賊・悪獣・命・梵等の難これらは隔礙、必ずそれらの縁があったならば、ただ受法を失するけれども捨墮の犯とはならない。二つには、もし以前から驕慢であって衣を護っておらず、その後に難縁があったとしても、受法を失し、また罪を犯じたこととなる。三には、もし常に衣を受持しており、しかし諸々の難縁がにわかに生じて衣と共なりえない場合は、受法を失することはない。そして罪にもならない」とある(難が生じたと弁解してもその)事態は必ず事実でなければならない。自分勝手に事実を曲げて語ってはならない。また問う、「失念して衣を持せずに外出し、夜になってはじめて気づいた。衣と共なろうとしてもどう仕様もない場合、失衣となるであろうか」。答う、「その人が常に自ら(衣を)身に従えておりながら、しかし、たまたま忘れたのであれば、長衣に例同してこれを許す」長衣を忘れて説浄しないことは犯にはならない。更に十日の猶予が許されている。
第三には著法を明らかにする。律には、「斉整に三衣を著けよ」〈衆学法の一。三衣および泥洹僧・裙を端正に着るべき規定。違反すると突吉羅となる〉とされている。『三千威儀』には、「(衣を)著する時、仏塔・上座・三師に向いてはならない。また(それら敬すべき対象に)後ろを向いてもならない。(衣を)口にくわえ、あるいは両手で振るってはならない」とある。『鼻柰耶』には、「まさに肩の上に掲げて著けよ。臂肘に垂れさせてはならない」とある。これは以前の制である。『感通伝』では、天人が告げたところによると、(衣の著法については)およそ四度の改制を経たものであるという。「まず初めに五人〈いわゆる五群比丘〉を度して以来、袈裟を左の臂に掛けて着用すべきことが制され、坐具はその下に置くよう定められていた。次に、年少の美貌〈阿難尊者〉が城に入って乞食している時、多くの女らに愛せられたため、衣の角を左の肩上に纏わせ、坐具でもってこれを安ずるように改制された。そして次に、ある比丘が外道から『一体どうして座るための布を法衣の上に載せるようなことが出来ようか』などと非難されることがあった。このことからまた再度改制されて、衣を左臂に掛けさせ、坐具をその下に置くよう定められたのである。最後に、ある比丘が衣を著するのに斉整でなかったことから、外道がこれを譏って『婬女のようである、象鼻のようである』と言った。このことから、(衣の)上に鉤紐を付けることが制せられ、衣角を左の臂に巻つけて腋の下に置くようにし、(衣が)垂れて淫女や象鼻のようにならぬようされたのである」とある。現今はよろしく最後に制された方法に従わなければならない。しかしながら、肩の上に搭けず、あるいは肘臂に垂れさせて着るのは、決まって非法である。衆学法の中にて罪と制されているからである。
第四には補浣を明らかにする。『十誦律』には、「衣服は常に必ず淨潔で如法でなければならないし。もしそうしていなければ人々や神々から非難されよう」とある。『善見律』には、「大衣と七であれば広辺八指、長辺一搩手の内の穴であれば受の失とはならない。五条は広辺四指、長辺一搩手の内の穴であれば失とならない。他の場所ならば、その穴の大きさが小指の爪ほどのものであっても、受を失うこととなる。補修してからまた受持しなおせ」とある。『薩婆多論』には、「縁が裂けたならば受の失となる」とある。『善見律』には、「袈裟がもし大き過ぎるのであれば小さくし、もし小さいのであれば物をもって補わなければならない。あるいは洗い、あるいは色を濃くし、あるいは色を薄くし、色を染め直したとしても、すべて受の失とはならない」等とある。