VIVEKA For All Buddhist Studies.
Dharmacakra
智慧之大海 ―去聖の為に絶学を継ぐ

元照 『仏制比丘六物図』

訓読

此に於て、須らく攝護を明すべし。略して四門を分つ。初めに衣界えかいを明す。りつに云く。若し人と衣と、處を異して宿を越さば、捨墮罪しゃだざいを得。此の衣は須く捨してさんすべしと墮罪とは、衆合地獄に墮することを言ふ。一晝夜、人間の歳數の十四億四十千歳に當る。律に離と護とを明すに、ならびに界に約して論ず。かいおおくの別有り。おおいに略して二に分つ。一には、作法さほう攝衣界しょうえかいなり伽藍の中の結界を謂ふ。院相より寛かれば、須く攝衣羯磨を加ふべし。結し已て村聚を除無し、界を通じて衣を護る。二には自然じねん護衣界ごえかい本宗ほんしゅうと他部とに、總じて十五種有り。僧伽藍界そうがらんかい垣・牆・籬・棚、四面周匝せるを謂ふ。結界の處なりと雖も、攝衣を結せざるを望んで、亦自然衣界と號す村界そんかい男女の所居を村と名づく。即ち俗舍なり。四相上に同じ。舍界の中に準ずるに、更に六種の別相有り。一には聚落界じゅらくかい村邑の分齊の處を謂ふ。一には別界。一聚落に止一家有るが如し。聚落の外、鷄の飛び及ぶ處を齊て、已外を異界と名づく。二は同界とは、多聚相渉るを謂ふ。多論には、四聚の中間に車梯四向に相及ぶに、衣四聚に在には失せずと。僧祇には四聚の中に臥して、頭足兩手、各の一界に在り。衣頭の底に在るに、天の明るに頭離れば捨を犯ず。手脚相及ぶには犯ぜずと。多論には衣を二界の中に安じて。身二界の上に臥さば失せず。各の身分有るが故にと。二には家界けかい一聚の内に多家有る者を謂ふ。亦同別有り。若し父母兄弟同處同業なるを同界と名づく。異食異業なるを別界と名づく。即ち下の族界なり。三には族界ぞくかい一家の中にて異食異業なるを謂ふ。亦同別有り。各の住處有れば、則ち一界と名づく。若し二處及び作食・便利等の衆處に在けば皆失す。四外道舍げどうしゃ若し同見同論なれば、則ち同一界なり。若し異見ならば、身と衣と二處なると、及び門屋・中庭の衆處に在けば竝びに失す。五遊行營處ゆぎょうえいしょ諸の戲笑等の人暫止の處なり。若し一主に屬すれば同界と名づく。異主なれば則ち彼此の衆處等、皆失す。六重舍じゅうしゃ即ち多重の樓閣等なり。同主ならば則ち人と衣と互ひに上下すれども失せず。異主ならば則ち失す。若し單の樓閣ならば、僧祇には梯蹬道の外二十五肘なり。了論には衣を下に在て、身上に在らば失す。此に反すれば失せず樹界じゅかい極小は下人身と等しくに至る。加趺を蔭ふに足る。此に五別有り。一には獨樹どくじゅ日の正中に影の覆ふ處、雨の時、水の及ばざる處を取る。二には相連の大林十誦には一拘盧舍、即ち二里六百歩なり。三には四樹小林じゅしょうりん善見には、十四肘。計るに二丈五尺二寸。四には藤蔓架とうかんか浦萄・瓜瓠等なり。僧祇には四面に各の二十五肘を取る。計るに四丈五尺なり。人身從り已去を謂ふ。架の外には非ざるなり。五には上下じょうげを明す衣は樹下に在り、身は上に在れば衣を失す。若し衣上に在り身は下に在れば失せず。落る義有るが故に場界じょうかい村外の空靜に五穀を治る處なり。場の廣狹に隨て限と爲す車界しゃかい住車は迴轉の處を取る。行車は前後、車杖の相及ぶは失せず。及ばずんば則ち失す船界せんかい住船は迴轉の處を取る。行船は多く住處有り。來往に通ぜざれば則ち別界有り。此に反せば通護す舍界しゃかい謂く村外の空野・別舍なり。四分には相無し。若し僧祇の樓閣に準れば、則ち二十五肘を取る。若し四分の庫藏に準れば、則ち四周の内地を取る。兩相、隨て用ひよ 堂界どうかい前多く敞露なり庫界くかい衆物を積藏す倉界そうかい穀米を儲積する處なり。上の三は竝びに内地に約して界と爲す蘭若界らんにゃかい十一即ち空逈處、八樹の中間なり。計るに五十八歩四尺八寸道行界どうぎょうかい十二善見には前後四十九尋の内なり。計るに三十九丈二尺なり洲界すかい十三善見には十四肘の内なり。計るに二丈五尺二寸なり水界すいかい十四僧祇には、水中の道行は二十五肘。計るに四丈五尺なり。若し衣、船上に在て水に入らば即ち失す。若し衣、岸上に在て兩脚水に入らば即ち失す。一脚は失せず井界しょうかい十五僧祇には、道行して露地の井邊に宿さば、二十五肘なり。亦四丈五尺の内を界と爲す。衣を井中に在かば、應に繩を以て連ね垂れ手を井に入るべし。失せず。上の界と別なるが故に。餘の坑窨も亦然なり。二に勢分せいぶんを明すとは、作法衣界には則ち無し。必ず須く界に入りて、はじめて乃ち衣にすなり勢分は是れ自然なり。作法界と體異なるが故に。十五種の自然じねんには、並びに界の量の外に隨て、例して一十三歩を加ふ。計るに七丈八尺なり善見には不健不羸の人、力を盡して石を擲るに落る處なり。古徳之を評するに一十三歩に約して準と爲す。 但だ勢分に入れば、即ち會衣ええを成ず。必ずしも界に入らず若し染・隔・情の三礙、界に在ること有れば、即ち勢分無し。三に四礙しげを明す上の如きの諸界、有るに隨て衣を失す。一には染礙ぜんげ女人界に在らば、淨行を染ぜんことを恐る。衣須らく身に隨ふべし。二には隔礙きゃくげ水陸の道斷じ、門牆阻障する等なり。三には情礙じょうげ國王・大臣・幻師・樂人の界に入ると、奪失等の想、及び人家兄弟分隔して各の分齊有るの處なり。四には界礙かいげ彼此相通ぜず。身は道中に在り、衣は樹下に在りて、即ち衣を失するが如き等なり

現代語訳

この(三衣を常に身に携えるという)点については、須らく攝護を明らかとしなければならない。そこで概して四門に分類し、これを示す。初めに衣界えかい〈摂衣界。離三衣しても犯戒とならない範囲〉を明らかにする。律には、「もし人と衣と、処を異にして一夜を過ごしたならば捨墮罪しゃだざいとなる。この衣は須らく捨して懺悔さんげせよ」とある捨墮罪とは、衆合地獄に墮することを言う。そこでの一昼夜は、人間の年数の十四億四十千歳にあたる。律では離衣と護衣とを明らかとするに、通じて「界」に約して論じられるが、「界」には多くの別がある。これは大略して二つに分けられる。一つに作法さほう摂衣界しょうえかい伽藍の中の結界である。(結界が)寺院境内より広い場合には、須く攝衣羯磨を加えなければならない。結界し終わってから(結界内に重複している場合は界の範囲から)村聚を除外し、その界を通じて衣を護る。二つには自然じねん護衣界ごえかい。本宗と他部とに、総じて十五種が挙げられる。(1)僧伽藍界そうがらんかい垣・牆・籬・棚などによって四面が取り囲まれているもの。結界の処であったとしても(羯磨によって)攝衣界を結していない場合があるが、それをまた自然衣界ともいう。(2)村界そんかい男女が居住している地を村と名づける。すなわち俗舍である。四相は上記と同様である。舍界の中に準じたならば、更に六種の別相がある。①聚落界じゅらくかい村邑の範囲である。第一は別界。一つの集落にただ一軒しかないような地であって、その集落の外にむかって鷄が飛びえる範囲に限る。その範囲外を異界という。第二は同界。多くの集落が連なるようにある場合をいう。『薩婆多論』には、「四つの集落の中間にあって車梯が四方に延びているのであれば、衣が四つの集落にあるならば失衣とはならない」とある。『摩訶僧祇律』には、「四つの集落の境界に臥して、頭・足・両手がそれぞれの集落の範囲にあり、衣が頭の下にあった場合、夜が明けて頭が(衣から)離れたならば捨衣を犯すこととなる。手脚相及ぶには犯ぜず」とある。『薩婆多論』には、「衣を二つの集落に(別々に)置いてあり。身体はその二つの集落の境界の上で臥しているならば失衣とはならない。それぞれの身体の部分が(二つの集落の範囲に渡って)あるためである」とある。②家界けかい一集落に多くの家がある場合である。またこれに同・別の違いがある。父母兄弟が同処で同業であるのを同界という。食事を異にし、生業を異にしているのを別界という。すなわち下記の族界である。③族界ぞくかい一家の中にて食事を異にし、生業を異にしている場合である。またこれに同・別の違いがある。(一家の中でも食事を異にし、生業を異にしている者等)それぞれの住む場所があるならば、それらそれぞれは一界である。もし(衣を)二つの異なる場所、あるいは作食・便利等の別々の所に置いたならば失衣となる。④外道舍げどうしゃもし同見・同論であれば、それは同一界である。もし異見であれば身と衣と二処となり、及び門屋・中庭の衆処に置いたならば、共に失衣となる。⑤遊行ゆぎょう営処えいしょ諸々の戲笑等の人が一時的に滞在する所である。もし一人の所有者に屬する処であれば同界という。複数人の所有地であればそれは彼此の衆処等であって、みな失衣となる。⑥重舍じゅうしゃすなわち多重の樓閣等である。一人の所有者のものであれば、人と衣とが互いに上下に在ったとしても失衣とならない。階層毎に所有者が異なるのであれば、その場合失衣となる。もし一つの樓閣であれば、『摩訶僧祇律』では梯蹬道の外二十五肘である。『了論』では衣が下階に在って、身が上階に在るならば失衣となる。これと逆であれば失衣とならないとされる。(3)樹界じゅかい極小は人の下半身と等しく、結跏趺坐した時にこれを覆うだけの大きさである。樹界には五つの別がある。①独樹日の正午に(樹が)影を落とす範囲であり、雨の時、雨粒が(直接)当たらない処。②相連の大林『十誦律』では一拘盧舍とされ、すなわち二里六百歩。③樹小林じゅしょうりん『善見律』では十四肘とされ、これを計れば二丈五尺二寸。④藤蔓架とうかんか葡萄・瓜・瓠等である。『摩訶僧祇律』では四方に各二十五肘を取るとされる。これを計れば四丈五尺。人身より已去を云うものであって、架の外のことではない。⑤上下じょうげを明す衣が樹下にあり、身が樹上にあるならば失衣となる。もし衣が樹上にあって身が樹下にあるならば失衣とならない。これは(衣が身に)落ちる可能性があるため。(4)場界じょうかい村外の空地に五穀を収める処である。その土地の広狹に従って限度とする。(5)車界しゃかい駐車している車はその回転しえる範囲。移動中の車は前後で、車杖が届く範囲であれば失衣とならない。届かない範囲であれば失衣となる。(6)船界せんかい停泊中の船はその回転しえる範囲。航行中の船ならば、(船には)多くの場合居住空間があるけれども、自由に行き来出来ない場所であれば別界となる。もしそうでなければ失衣とならない。(7)舍界しゃかい村外の空野・(村外れの)家である。『四分律』では特に定めがない。もし『摩訶僧祇律』の樓閣についての規定に準じたならば、二十五肘の範囲となる。もし『四分律』の庫蔵に準じたならば、四方の内地の範囲となる。そのいずれかの規定に従え。(8) 堂界どうかいその前が多くの場合、広く、露地となっている処。(9)庫界くかい様々な物を集積する処。(10)倉界そうかい穀米を蓄積する処。上記の三界はいずれも内地にまとめて界とする。(11)蘭若界らんにゃかいすなわち(村落から)離れて人気のない処であって八樹の中間。これを計ったならば五十八歩四尺八寸。(12)道行界どうぎょうかい『善見律』では、前後四十九尋の範囲とされる。これを計ったならば三十九丈二尺。(13)洲界すかい『善見律』では、十四肘の範囲とされる。これを計ったならば二丈五尺二寸。(14)水界『摩訶僧祇律』では、水中の道行は二十五肘とされる。これを計ったならば四丈五尺。もし衣が船上にあって水に落ちたならば失衣となる。もし衣が岸上にあって両足を水に入れたならば失衣。片足だけならば失衣とならない。(15)井界しょうかい『摩訶僧祇律』では、道行中、露地の井戸周辺にて宿泊した場合で二十五肘の範囲とされる。また四丈五尺の範囲を界とする。衣を井戸の中に置くならば、繩にて縛って垂れ入れ、手を井戸の内に入れよ。その場合、失衣とならない。(井戸の)上の界とは別となるためである。その他の竪穴・穴ぐらなどの場合も同様。第二に勢分せいぶん〈自然護衣界の範囲外ながら失衣とされない、いわば「みなし自然界」。界外の若干の範囲〉を明らかにするが、作法衣界には(勢分は)無い。必ず須く界に入っていなければならず、そこではじめて衣と共と成り得る勢分は自然護衣界においてのみ適応される。(自然護衣界は)作法界と本質的に異なるためである。十五種の自然(護衣界)では、いすれも界の範囲の外に例えば十三歩を加える。これを計ったならば七丈八尺『善見律』では、平均的体力の人が力の限りに石を投げて落ちた範囲とされる。古徳がこれについて評し、それは十三歩であるとして基準とした。 ただ勢分に入っただけで会衣ええ〈三衣と共なること〉を成ずるのであって、必ずしも界に入らなければならないのではないもし染・隔・情の三礙が界にあったならば勢分は無い。第三に四礙しげを明らかにする上記の諸界において、(以下の四礙いずれかが)あった場合、失衣となる。(1)染礙ぜんげ女人が界にあったならば、淨行が害われる可能性がある。衣は須らく身に従えておかなかればならない。(2)隔礙きゃくげ水陸の道が断じられ、門牆によって阻障された場合等。(3)情礙じょうげ国王・大臣・幻師・楽人が界に入った場合、あるいは(衣を)奪われた・失った等と想った場合、および人家の兄弟がそれぞれ分かれて各自が別に食事するなどしている場合。(4)界礙かいげ(界が)彼此通じておらず、身は道中にあり衣は樹下にあって、すなわち失衣となるような場合