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Dharmacakra
智慧之大海 ―去聖の為に絶学を継ぐ

Kesamutti Sutta(『ケーサムッティ・スッタ』)

生死流転

知るべき事柄

世人には、この『ケーサムッティ・スッタ』に触れて、「嗚呼、なんと素晴らしい教えでしょう。眼からウロコが落ちるような思いです!」などと賞賛、いや絶賛。そうかと思いきや、どうしたものかその直後に「しかし、それでは一体、私はどうしたら良いというのでしょうか?」などという問いを発する、「あなたは一体、今、何を聞いて眼からウロコが落ちたと言うのか?」と逆に問いたくなることを言い出す人が、かなり多く見られます。

そういえば、もうかれこれ二十年近く以前、養老孟司氏が『バカの壁』を出版し、その記念講演を各地で開催していたのに機会があって大阪でのそれに参加したことがあります。一時間ほどの講演だったでしょうか、本の内容に沿ったものではありましたが、さすが養老氏の話は面白く楽しいものでした。そして、講演の最後に質疑応答の時間に移った際、真っ先に手を上げて質問した人が、まさにまるで同じことを言っていたのが強く印象に残っています。「先生のご本もお話も本当に素晴らしく、目からウロコの連続でした。本当にありがとうございます。そこで先生にご質問したいのですが、では私はどうしたらよいのでしょう?」と。

これを聞いていた私と友人は目を合わせ、「あのポン助はあの本で何を読み、この講演で何を聞いていたのか?」と失笑して呆れました。しかし、「ははぁ、そうか。いや、これでこの講演の落ちがついたか」と思いなおし、実に愉快に思ったものです。これは『バカの壁』を読んだ人であるならば、たちまちその可笑しさがわかることでしょう。彼は養老氏の本で描かれた、本から飛び出てきたのではないかとすら思える、まさにそのような人であったのです。

しかし、この手合の人を浅薄にして蒙昧であるなどと一概に断ずることは出来ません。

なぜならば、先に示した憲章で「依るべきでない」とされる態度のうち、その一つあるいは複数に依るのは日本だけでなく他国でも一般的であり、むしろ常識、当然とすらされている態度であるためです。それをここで「依るべきでない」とされたことにより、戸惑ってしまうことは、ある意味当然の反応であるかもしれません。けれどもやはり、その「どうしたら良いか」も併せて本経に明瞭に説かれているのですから、「あなたは一体、今、何を読み、眼の何処からウロコが落ちたと言うのか?」と問わざるを得ない。

釈尊はこの『ケーサムッティ・スッタ』において、いかなる権威主義も却け、何事かの教義や何者か宗教指導者への盲従・狂信を砕き、伝承される教えを愚かなまでにただ厳密に実行するを良しとする教条主義に陥るのを防ぎ、またもっぱら理性にのみ依る思弁哲学的態度も廃して、ある思想が自身にとってどのような価値をもつものであるかを、自らの思考と経験によって検証し、自らが確かめることを勧めています。

それはまた、これも世間に非常によく見られる態度ですが、世間で常識などと言われている事柄を金科玉条とし、あるいは判断基準として、無闇矢鱈にそれを振り回さないことです。通説、人づてに聞いた話、うわさ話などを鵜呑みにし、自分の脳内ですべて事実としてしまい、その(実は)妄想に対して判断したり、感情をあれこれ働かせたりしないことを勧めたものだとも言えます。

それは一見単純な、ごく簡単であることのように思えるものかもしれません。しかし、現実にこれを行うとなると困難を伴うこととなる。賞賛するのは簡単ですが、これを厳密に実行するとなるとなかなか容易ではない。釈尊もこの世のありとあらゆる事柄についてそのようにせよ、などと云われたわけではありません。

たとえば、我々の日々暮らしのその相当の部分は、自ら確かめようとしたことなどなく、また確かめんとしたとしてもその術をすら知らないし、思いもつかないような事柄によって占められています。とは言え、科学技術の発展に伴い生み出されてきた我々のまわりに溢れる生活用品など、その理論や機構などを厳密に検証しなくとも、スイッチを押して期待される機能が働ければそれでことが足りるから充分であり、これらは一応、例外とすることが出来ます。

実際、その技術を支えている物理や化学・生物、さらにはその技術が生み出された背景や歴史、思想を知るところから始めるとなると、小・中学校から駆け足でやり直して大学院まで行ってもまるで追いつきません。それを行うのはきっと非常に面白く、「為になる」に違いないことではあります。が、それを我々の世界全てについて行うとなると、まったく現実的ではありません。我々はそれをするのに充分長く生きることが出来ないし、それらをごく短期間のうちに全て叩き込めるような脳を持っていない。そして、科学技術の世界は日進月歩で、それ自身どんどん進んでいっています。

ただ「自らの思考と経験によって検証し、自らがその真偽と利害とを確かめること」、それは別段仏教やその他思想・宗教に限られるものでなく、自身の人生に関わる「情報」(思想・教育・報道・宣伝・報告・世間話 etc.)についても是非とも適用すべき態度であります。しかし、それを我々が生活する上で関係するすべての事柄に渡って実行していくことなど不可能であって、そもそも実利的見地からして不要です。

カーラーマたちも、そんなことをわざわざ仏陀に聞いたわけではない。彼らが尋ね、また釈尊が答えたのは、あくまで「人はいかに生きるべきか」という、様々な思想家や宗教家がてんでバラバラに色々なことを主張している、その道についてであり、それにまつわる世界の見方などでありました。

「一切」とは何か

ところで、仏教の目的は、文字通りこの世のすべての事象を知り尽くすことなどではありません。いや、実は仏教徒はこの世の一切の真理をみずから知見することを目指してはいます。そして仏陀は自ら「一切知人」であると称されたと言われ、また「一切智者」と古来讃えられています。

けれども、仏陀がいわれた「一切」すなわち「すべて」とは、森羅万象この世のあらゆる個別の事象を意味していません。

如是我聞。一時佛住舍衞國祇樹給孤獨園。時有生聞婆羅門。往詣佛所共相問訊。問訊已退坐一面。白佛言。瞿曇。所謂一切者。云何名一切。佛告婆羅門。一切者謂十二入處。眼色耳聲鼻香舌味身觸意法。是名一切。若復説言此非一切。沙門瞿曇。所説一切。我今捨別立餘一切者。彼但有言説。問已不知。増其疑惑。所以者何。非其境界故。時生聞婆羅門聞佛所説。歡喜隨喜奉行
このように私は聞いた。あるとき、仏陀は舎衛国〈Sāvatthī〉の祇樹給孤獨園〈祇園精舎〉に留まっておられた。そこに生聞〈Jāṇussoṇi〉という名の婆羅門があり、仏陀のところに往詣して互いに挨拶の言葉を交わした。そして挨拶を終えるとすこし退いて片側に座り、仏陀に対してこのように言った。
「ゴータマよ、(あなたが主張する所の)いわゆる一切とは、何をもって一切というのでしょう」
そこで仏陀は婆羅門に告げられた。
「一切とは十二処、すなわち眼・色・耳・声・鼻・香・舌・味・身・触・意・法という、これらが一切である。もし「それは一切ではない。沙門ゴータマが説くところの一切を私は否定し、別に他の一切を主張する」と言う者があったとしても、彼はただ言葉だけそう主張しているに過ぎない。(もし誰かに、ではその一切とは何かと)問われたならば答えることは出来ず、ただ(彼に対する)疑惑を増すだけであろう。何故ならば、(私が一切として列挙した十二処以外のものは)知覚可能な対象でないからである」
生聞という名の婆羅門は仏陀の説を聞いて大いに喜び、その説を受け入れた。

『雑阿含経』巻十三(T2, p.91a-b)

仏陀がいわれたところの一切、それは五根と十二処であると定義されています。我々の五感とそれぞれその対象の全体をして、仏教では一切としているのです。したがってキリスト教がイスラム教などにおいて、その神の徳として設定されている「全知全能」であることを、「一切智者」は意味しません。それは十二処という我々の知覚可能な対象の本質、すなわち無常・苦・無我・空であることを達見した人のことです。

そのようなことからも、仏陀とは救世主であるとか創造主といわれるような神のごとき存在でなく、故に仏教とは、そのような神の如きものとして誤解された「ホトケサマ」に対する信心をもって、その救済を俟たんとするものでもない。仏教は、「我が苦たる生存の永続からの解脱」・「我が輪廻の終焉」をその第一義とするもので、それはあくまでただ自らの知と行いに関する努力とよって果たされるとするものです。

けれども、第二義的に、そこに至るための術として、あるいは出家者のようにそれに専心出来ない在家者の生き方として、自分が他者と共に幸福に生きることを勧めるものでもあります。

そこには一つ、この経で説かれるような態度を採るべきとする、明快な判断基準があります。

それは、強欲と怒りと愚かさに基づく行為につながるか、むしろその教え(情報)を実行することによって、それらが自身の心に起こって不善の行いを為すことに繋がるかどうかです。それはまた「幸せ」に繋がることであるかどうか、ということでもあります。幸せといっても人によってまちまちですが、ここに言う幸せとは、自心に自他に対する害意なく、悪意なく、欲望に囚われず、自由であることです。

そこで、これもまた重要な点となりますが、いくら人が先に示した憲章に準じて物事に対し、判断した所で、その人の心に慈しみなどの思いがなければ、それは虚しいものとなります。本経にて釈尊がカーラーマたちに説かれた教えとは、人に宗教的になれ、信仰的生活を送れ、ということを勧めたもので全くないのはもちろんのこと、ただリチ的、ゴーリ的、カガク的になれ、と勧めたものでも決してありません。

自分と他人、そしておよそすべての生きとし生ける物への慈しみ、そして思いやり、自他が幸福であることに対して共感して喜ぶこと、またそれらに執着しない平静な心、すなわち「慈・悲・喜・捨の四無量心」は、智慧を育む不可欠の土壌となるものです。

ただ理知的であるだけではまったく不十分です、そこに四無量の思いがなければ。…と言ったならば、ただちに非常なる宗教的響きを以て聞こえるかもしれない。けれども、四無量ということの一つ一つを現実にすることは別段宗教的でもなんでもない。そこに、「仏を拝め」だの「題目を万遍唱えろ」などということは一つもなく、ただ自身を含めたあらゆる生命に対する自らの心構え、心のあり方を示したものです。

生死輪廻について

この『ケーサムッティ・スッタ』には、前述した十の憲章以外に、もう一点注目すべきことが説かれています。それは輪廻についてです。

一般に、インド思想はほとんど輪廻を前提としたものであって仏教もそれに含まれる、と言われることがあります。しかし、インド思想が全て輪廻を説いたということはなく、また仏教がインド思想の一つであるから輪廻を説いているわけでもありません。そして仏教の輪廻説が、他の輪廻を前提とするインド思想のそれと同じというわけでもない。

「当時のインドにおいては輪廻思想が一般的であったため、仏陀はその未開で迷信であることを知りながら仕方なく、民を導くための方便として取り入れたのだ。したがって、輪廻思想を除いたとしても仏教は仏教足りうる」

この手の主張は、特に戦前戦後の(共産主義に憧憬し左傾化した者が多くあった)仏教学者らによって頻繁になされており、増谷文雄などがその代表というべき者ですが、そんな学者らの本に影響をうけた僧職者も在家信者もずいぶん多く出来て、未だに相当数あります。

しかし仏教は、いや、仏陀は、生命のあり方として輪廻が真理であると見たのであって、その前提なしに仏教は仏教たりはしません。死んで全てが終わりなら、存在すること・生きることが苦しみであると確かに感じられたとしても、多くの場合はたかだか80年か100年のうちいくらかの期間を我慢すればすむだけのこと。あるいは自ら自害して果てれば良い。わざわざ諸々の欲を制して行いを御し、種々様々な修行を以てして遠大な解脱など目指す必要などありはしません。

しかし、当時のインドにおいて輪廻が人々に無条件に信じられていたことはなく、それを信じない人もあった。インド人は一般に輪廻を信じていた、などということはないのです。実際、経典にはしばしば輪廻など信じていない人があったことが認められ、実はこの「ケーサムッティ・スッタ」にはそのような人々への教示が含まれています。先にも述べたように、この経典が伝える仏陀の説法の対象、いわゆる対告衆は仏教徒ではなく、当時のインドにおける(特に信仰する対象・信奉する思想を持っていなかった)村人らです。

本経では、まず十の憲章が示されていわば権威主義的思考や無思考・盲従の態度を廃すことが勧められ、次にその説の可否を判断するための基準として、その説によって自らの貪・瞋・痴が減ぜられるか、四無量心が育まれるかが示され、最後にはそれにより四種の安堵(安心)を得るであろうことが語られています。その安堵の中には、輪廻を信じることが出来ない、あるいは確信が持てない人への教示もなされているのです。

その教示は、フランスは17世紀の哲学者であり数学者・物理学者であり、また神学者でもあったパスカル(Blaise Pascal)が主張した賭け(Pari)、いわゆる「パスカルの賭け(Pari de Pascal)」に多少近似したものとも言えます。仏陀は、近世の欧州における哲学者や神学者らがようやく言い出すその遥か昔から、このような教説を展開しておられました。

輪廻がまさしく事実であると認識するのは、三昧を深め、禅に達した修行者になって初めてなしえるものとされ、仏教徒であったとしても、自らその三昧に達するまでは誰しもが「とりあえず受け入れている」、すなわち「信じている」状態に過ぎません。端から定を修めることはなく、あるいは、学者や僧職者にこの手合の人が大変多いように感じられますが、修めたとしても中途半端で放り投げ、もしくは自身がそれなりの三昧を得たと自惚れた上で、修定など無価値であると断じるようでは、輪廻が真実であると知ることなど出来はしないのです。

ダライ・ラマ14世は仏教には宗教的側面・哲学的側面・心理学的側面の3つの側面・要素があると言っていましたが、このような点は、仏教のいわゆる宗教的側面を示したものです。