初謁大和尚二首并序
聞夫佛法東流摩騰入於伊洛眞教南被僧會遊於吳都未䘮斯文必有命世將弘茲道實待明賢我皇帝據此龍圖濟蒼生於八表受彼佛記導黔首於三乗則有負鼎擲鈞雖比肩於綘闕而乗盃聽鐸未連影於玄門爰有鑒眞大和尚張戒網而曾臨法進闍梨照智炬而戻止像化多土於斯爲盛玄風不墜寔賴茲焉弟子浪跡囂塵馳心眞際奉三歸之有地欣一覺之非遥欲贊芳猷奮弱管
云爾
摩騰遊漢闕 僧會入吳官
豈若眞和尚 含章渡海東
禪林戒網密 慧苑覺蕐豐
欲識玄津路 緇門得妙工
我是無明客 長迷有漏津
今朝蒙善誘 懷抱絶埃塵
道種將萠夏 空蕐㪅落春
自歸三寚德 誰畏六魔瞋
五言傷 大和尚傳燈逝
日本國傳燈沙門釋思託
上德乗杯渡 金人道巳東
戒香餘散馥 慧炬復流風
月隱歸靈鷲 珠逃入梵宮
神飛生𣦸表 遺教法門中
七言傷 大和尚
傳燈賢大法師大僧都沙門釋法進
大師慈育契圓空 遠邁傳燈照東海
度物草籌盈石室 散流佛戒紹遺蹤
化畢分身歸淨國 娑婆誰復爲驗龍
五言傷 大和尚
金紫光祿大夫中納言行式部卿石上宅嗣
上德從遷化 餘燈欲斷風
招提禪草剗 戒院覺蕐空
生𣦸悲含恨 眞如歡豈窮
惟視常修者 無處不遺蹤
五言傷 大和尚
圖書寮兼但馬守藤原朝臣刷雄
萬里傳燈照 風雲遠國香
禪光耀百億 戒月皎千鄕
哀哉歸淨土 悲哉赴泉場
寄語騰蘭跡 洪慈萬代光
因使日本頂謁鑑眞大和尚大和尚巳滅度不覩尊顔嗟而述懷
都虞候冦軍大將軍試
大常卿上柱國高鶴林
上方傳佛敎 名僧號鑑眞
懷藏通隣國 眞如轉付民
早嫌居五濁 寂滅離囂塵
禪院從今古 靑松遶塔新
法留千載住 名記萬年春
法務贈大僧正唐鑑眞過海大師東征傳
南都東大寺戒壇院藏版
寶暦十二壬午年猛春彫刻成
初て大和尚に謁二首、序を并
聞く、夫れ佛法東流して摩騰、伊洛に入り、眞教南に被しめ、僧會、吳都に遊で未だ斯の文を䘮さず。必ず命世有り。將に茲の道を弘めんとす。實に明賢を待つ。我が皇帝、此の龍圖に據て蒼生を八表に濟ひ、彼の佛記を受て黔首を三乗に導く。則ち鼎を負ひ、鈞を擲げ、肩を縫闕に比ぶと雖ども、盃に乗して鐸を聽き、未だ影を玄門に連子ず。爰に鑒眞大和尚と云人有り。戒網を張て曾て臨む。法進闍梨、智炬を照して戻り止る。像化の多士、斯に於て盛なりとす。玄風墜ちざること寔に茲れに賴る。弟子、跡を囂塵を浪りて心を眞際に馳す。三歸の地に有るを奉じて一覺の遥なるに非ることを欣ふ。芳猷を賛せんと欲して弱管を奮ふと。
爾か云ふ。
摩騰、漢闕に遊び、僧會、吳官に入る。
豈に若んや眞和尚、章を含で海東に渡る。
禪林戒網、密。慧苑覺蕐、豊なり。
玄津の路を識んと欲して、緇門、妙工を得たり。
我は是れ無明の客、長く有漏の津に迷ふ。
今朝、善誘を蒙り、懷抱、埃塵を絶す。
道種、將に夏に崩んとす。空蕐、㪅に春に落つ。
自ら三寚の德に歸して、誰か六魔の瞋ことを畏れん。
五言、大和尚傳燈の逝することを傷む。
日本國傳燈沙門釋思託
上德、杯に乗じて渡り、金人、道巳に東す。
戒香、餘て馥を散じ、慧炬、復た風を流ふ。
月隱れて靈鷲に歸り、珠逃れて梵宮に入る。
神は飛ぶ生𣦸の表、遺教法門の中。
七言、大和尚を傷む。
傳燈賢大法師大僧都沙門釋法進
大師の慈育、圓空に契ふ。遠邁、燈と傳て東海を照す。
物を度す草籌、石室に盈ち、佛戒を散流して遺蹤を紹き、
化畢て分身淨國に歸る。娑婆、誰か復た爲に龍を驗ん。
五言、大和尚を傷む。
上德、遷化に從ひ、餘燈、風を斷んと欲す。
招提、禪草剗り、戒院、覺蕐空し。
生𣦸悲て恨を含み、眞如歡び豈に窮せんや。
惟視る常修の者。處として遺蹤ならざるは無し。
五言、大和尚を傷む。
萬里傳燈照し、風雲遠國に香し、
禪光、百億に耀き、戒月、千鄕に皎かなり。
哀い哉、淨土に歸ること。悲ふ哉、泉場に赴ふ。
語を寄す騰蘭の跡、洪慈、萬代光れり。
日本に使するに因て鑑眞大和尚に頂謁せんとす。大和尚に巳に滅度して尊顔を覩ず。嗟して懷を述ぶ。
上方、佛教を傳ふ。名僧、鑑眞と號す。
懷藏、隣國に通じ、眞如、民に轉付す。
早く嫌ふ、五濁に居ることを。寂滅、囂塵を離る。
禪院、今より古り、靑松、塔を遶て新なり。
法は千載に留て住し、名は記す、萬年の春。
法務贈大僧正唐鑑眞過海大師東征傳
南都東大寺戒壇院藏版
寶暦十二壬午年猛春彫刻成
[S].Kāśyapamātaṅga. 迦葉摩騰。永平十年〈67〉、竺法蘭とともに支那に初めて仏教をもたらしたと伝説される印度僧。洛陽の外交使節であった鴻臚寺に置かれ、以降、寺とは仏を祀る宗教施設、僧院の意となった。白馬に経論および仏像を載せて到来したということから鴻臚寺は後に白馬寺と称された。そのもたらした最初の経典は『四十二章経』であったとされる。
ここで本書の著者淡海三船が、鑑真をして戒律を支那に初めてもたらしたとされる曇柯迦羅(Dharmakāla・法時)ではなく、仏教を初めて支那にもたらした迦葉摩騰や康僧会に擬している点に注意。三船は鑑真によって初めて正統な仏教がもたらされたと考えていたのであろう。実際、鑑真ら一行の渡来により、日本で初めて正しく三宝が成立した。▲
伊水と洛水の一帯、すなわち洛陽の意。支那古代の東周が都として以降、後漢(ごかん)・魏・西晋などが都として栄えた地。▲
真の教え。ここでは仏教。▲
康僧会。康居(現在のカザフスタン南部シルダリア川中流域を本拠とした古代民族)の僧。父の代で安南国の交趾(現在のベトナム・ハノイ周辺)に移住していたが、僧会は三国時代(三世紀)の呉に入り特に支那南部で仏教を広めた。▲
呉の都、建康(現在の南京)。呉の孫権は康僧会に帰依し、その住まいとしていた祠廟に舎利を祀るための仏塔を建てて仏寺として遇した。江南(長江以南)で初めての仏寺であったことから建初寺といい、また寺の門前に市が形成されたため大市寺とも称した。以降、この地が江南における仏教の中心地となったことから仏陀里といわれた。▲
一時代。めいせい。ここでは一時代に飛び抜けて優れた人の意。▲
智者・賢者。▲
龍の描かれた図。ここでは仏教。▲
民衆。▲
八方の果て。全世界。▲
仏陀がその弟子に対し、未来の証果などについて予言すること。授記、記別。▲
人民。愚昧な人々。黔は黒の意で、当時の貴族や官僚など知識人のように冠を被っていたのに対し、一般庶民は何も被らず黒い髪をむき出しにしていたことからの語。▲
「伊尹負鼎」を意図した一節か?伊尹は古代支那の料理人で、殷の湯王のもとに鼎を負い自ら参じて料理の道を説き、これによって宰相に取り立てられて政治家となったとされる人(『史記』)。▲
支那の古典に基づく語であろうが未詳。▲
玄妙への門。仏門。▲
阿闍梨。[S].ācāryaの音写。先生の意。▲
智慧のたいまつ。智慧という光が、無知・愚昧という闇を照らすことからの言。▲
仏滅後五百年あるいは千年を経た像法時における教化。▲
玄妙な風儀。仏教。▲
騒がしく塵っぽいこと。転じて俗世間、繁華街。▲
涅槃。▲
三宝に帰依すること。ここでは仏教および仏教徒の意。▲
無上菩提。最上の覚り。▲
喜ばしいはかりごと。ここでは美徳、高徳の意。▲
ここで管は筆の意。淡海三船が自らを謙遜して悪筆悪文であることを表した語。▲
闕はもと城門の上に構えた楼閣。ここでは漢国(支那)の意で、特に洛陽。▲
玄妙なる伝承。ここで津は伝手、伝えの意。仏教。▲
仏門。特に出家。緇は黒の意で、支那では僧が鈍色(いぶいろ)すなわち濃灰色の内衣を着ていたことによる表現。▲
心中。意思。▲
ホコリとチリ。転じて煩わしさ、心の汚れ。▲
他化自在天。欲界の頂点にある六欲天の第一。欲界から出脱しようとする人心を惑わし妨げようとする神。魔波旬。▲
霊鷲山。印度摩伽陀国の都、王舎城にある山[S].Gṛdhrakūṭa。耆闍崛山。釈尊が種々の教えを垂れた地として名高い山。▲
梵天の宮殿。▲
遺跡。ゆかりのあった地、あるいはその行跡。▲
[S].sahāの音写。耐え忍ぶこと。転じてこの世。この世界が多くの苦しみに満ち、なおそれに耐えて生き続けなければならないことからいわれる語。忍土と訳される。▲
正三位の唐名。▲
式部省の長官。▲
奈良時代の公卿で優れた文人。石上朝臣宅嗣。▲
中務省(なかつかさしょう)に属した国家機関の一。国家が蔵する図書・仏像等の管理を司った。▲
山陰道(背面道)に属した但馬(現在の兵庫県北部)の地方長官。▲
藤原仲麻呂(恵美押勝)の六男。第十二次遣唐使に随伴して唐に渡り、鑑真等と同じ第二船か吉備真備の第三船に乗じて帰国した人。▲
迦葉摩騰と竺法蘭。▲
唐代における軍官。一軍を指揮する武官。▲
大常(太常)は古代支那において宮中の宗廟祭祀を司った機関で、大常卿はその長官。正三位相当。▲
古代支那における官名。上卿。特に軍務で功績を挙げたものに授けられた。▲
大暦十四年〈779〉、新羅経由で日本を訪れた唐使。おそらくは撰述されたばかりの『東征伝』を唐に持ち帰って伝えた人。▲
劫濁(時代の穢れ/戦争・疫病・飢饉等)・見濁(思想の穢れ/邪見の流行)・煩悩濁(煩悩の穢れ/道徳的頽廃)・衆生濁(衆生の穢れ/人の質の低下)・命濁(寿命の穢れ/人の短命化)の、末世においてはびこる五つの穢れ。▲