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Dharmacakra
智慧之大海 ―去聖の為に絶学を継ぐ

不飲酒 ―なぜ酒を飲んではいけないのか

訶梨跋摩『成実論』

問曰。飮酒是實罪耶。答曰非也。所以者何。飮酒不爲惱衆生故。但是罪因。若人飮酒則開不善門。是故若教人飮酒則得罪分。以能障定等諸善法故。如植衆果必爲牆障。如是四法是實罪。離爲實福爲守護故。結此酒戒
問:酒を飲むことは実罪〈本質的に罪〉であろうか。
答:実罪ではない。なぜならば、飲酒そのこと自体が衆生〈生けるもの〉を悩ませることはないからである。ただしそれ〈飲酒〉は罪の原因となる。もし人が酒を飲んだならば、すなわち不善〈十悪〉の門を開く。したがって、もし他人に勧めて酒を飲ませれば、それは罪となる。それが禅定など諸々の善法の障害となるためである。譬えば果樹を植えたならば、必ず(果実を害獣や盗難から守るための)垣根を造るようなものである。
 以上のように、(殺生・偸盗・邪淫・妄語の)四法は実罪である。(それら殺生・偸盗・邪淫・妄語の実罪をなすことから)離れ、実福〈福徳〉を為し、(自らを)守る為に、この酒戒が制定されたのである。

鳩摩羅什訳 訶梨跋摩『成実論』巻八 五戒品 (T32, p.300b)

『成実論』とは

成実論じょうじつろん』は、中インド出身の僧、訶梨跋摩かりばつま〈Harivarman. 師子胄〉(以下、ハリヴァルマン)により、西暦4世紀頃に著されたと目される論書です。

梵本はもとよりチベット語訳も伝わっておらず、ただ鳩摩羅什くまらじゅう〈Kumārajīva〉(以下、クマーラジーヴァ)による漢訳だけが伝わっています。支那において現存する最古の経録、僧祐『出三蔵記集しゅつさんぞうきしゅう 』「成実論記」によれば、その翻訳は弘始十三年〈411〉九月八日に開始され翌十四年〈412〉九月十五日に訖ったものとされています。

現在、仏教学者などによって、その原名はTattvasiddhi-śāstraタットヴァシッディ・シャーストラあるいはSatyasiddhi-śāstraサティヤシッディ・シャーストラ(真実を成就する論)ではなかったか、などと推測されていますが定かではありません。

著者のハリヴァルマンについては、『出三蔵記集』に、江陵の玄暢げんちょうによるとされるその伝記が収録されています。それによると、ハリヴァルマンは仏滅後900年に中インドの婆羅門の子として生まれ、ヴェーダやその他学問に通じていたものの、説一切有部せついっさいうぶの学匠究摩羅陀くまらだすなわちKumāralāta〈あるいはKumāralabdha. 経量部の祖とされる人〉(以下、クマーララータ)のもとで出家。有部の諸論書を学び深めていったもののその説に納得出来ず、自ら三蔵を読み深めて研究すること数年。やがて大衆部だいしゅぶの僧で大乗もまた遵奉している者に出逢ってさらに考究を深めた結果、ついに著したのが『成実論』である、とされています。

三論宗の吉蔵きちぞうは、『出三蔵記集』の所伝を踏まえた上で、『成実論』は経量部きょうりょうぶでなく、なぜか曇無徳部どんむとくぶ〈Dharmaguptaka〉すなわち法蔵部に属する典籍であるとしています。しかしながら、そらにその一世紀余り後に出た法相宗ほっそうしゅう祖、法師(窺基きき)は、それまでの伝承を踏まえなかったのか、ハリヴァルマンはもと数論外道すろんげどう〈Sāṅkhya . サーンキャ学派〉の出家者であって仏教に転向した人であったと述べ、その故に外道の見解が所々に残されているとしています。

『成実論』は、クマーラジーヴァによって漢訳がなされたその直後から、支那の学僧らの注目するところとなって盛んに研究され、成実宗なるこれを専門に研究する学派まで生まれていました。しかし、後に現れた支那における学僧により、『成実論』が小乗の書であって大乗に比せば一段劣等なものであると断ぜられたことから、『成実論』を研究する者も少なくなったようで衰退。かなりの数が著されていたその注釈書も、今や全て散失し現存していません。故に『成実論』をいま一一理解していくには、多少の困難の伴うことがあります。

『成実論』にて論じられている内容は多岐にわたりますが、その要はハリヴァルマンの立場からする仏教の根幹たる四聖諦が説き明かされた書です。この類の論書は、現代で言うならば「想定問答集」の如き体裁が取られ、決まって問答体で著されて、その思想が明らかにされていくのですが、やはりこの書も同様、全編が問答体にて綴られています。種々様々な異見を持つ仮想問者が登場し、次々と設問あるいは論難を展開。答者(著者)がこれに一々答え、あるいは反論し、自身の依って立つ見解を明らかにしていくのです。

その内容から、これは前述の『出三蔵記集』の所伝とも合致したものとなりますが、小乗十八部あるいは二十部のうち、主として経量部の立場から著されたものであると現在見られています。経量部は、法の三世実有さんぜじつう を説く説一切有部に対して現在にのみ法の有体を主張し、過去・未来における法の実在を否定したことで知られる部派です。

また『成実論』には、声聞乗で説かれるのとはまた違った、大乗における「空」思想も説かれています。そのようなことからも、四世紀末から五世紀初頭にかけてインドに求法の旅に出、多数の仏典を持ち帰り、またインドや南海の様子を伝えた 法顕ほっけんなどによって大乗との親和性が古来論じられていますが、それもまた『出三蔵記集』の所伝がある程度正しいことを裏付けるものです。

また『成実論』では、設定された問者として、説一切有部などの仏教の諸部派だけでなく、外教である正理外道しょうりげどう〈Naiyāyika. ニヤーヤ学派〉や数論外道、そして勝論外道しょうろんげどう〈Vaiśeṣika. ヴァイシェーシカ学派〉などインドにおける正統思想とされた、いわゆる六派哲学 〈Ṣad-darśana〉の一部も登場しています。したがって、『成実論』を理解するには、まず「四阿含」に親しんでいることは勿論のこと、部派の教義、特に説一切有部の見解にある程度通じていることや、外道論師の諸説など広く知っている必要もあります。

支那において『成実論』を特に研究するものとして生まれた成実宗は、奈良時代の日本に伝わっています。いわゆる南都六宗の一つ、鎌倉後期の凝然ぎょうねん『八宗綱要』にても挙げられた日本の伝統宗派の一つです。もっとも、日本でも成実宗は、三論宗(中観派)の寓宗、すなわち付属学派とでもいうべき地位しかなく、その本宗たる三論宗も平安期以降細々ながら東大寺東南院に相伝されていたものの鎌倉中後期には宗として消滅したため、共に無くなっています。

しかし、もはや宗として消えたこと久しい今となっても、、『成実論』は、東アジアにおける大乗の伝統を学ぶ上では、不可欠の書であることに変わりありません。

なぜ酒を飲んではいけないのか ―酒も麻薬も本質的には同じ

『成実論』五戒品では、飲酒戒について、五戒というものを論じる中でごく簡単に明らかにされています。

「飲酒是実罪耶(飲酒はこれ実罪なりや)」すなわち「飲酒という行為は、それ自体が罪と言えるのかどうか」との問いがまず設けられ、それに「罪ではない」とハリヴァルマンは答えています。そして、その理由は「飲酒という行為自体が生き物を苦しませることはないから」を述べています。

しかし、ハリヴァルマンは続けて言います、「但是罪因。若人飲酒則開不善門(ただこれ罪の因なり。もし人酒を飲めばすなわち不善の門を開く)」と。つまり、「だが飲酒は罪の原因となる。人が酒を飲めば、不善(十悪)へと誘うものである」と言うのです。したがって、人の様々な善を遮るという点で、他人に酒を勧めて飲ませることは罪である、とされています。

これは本稿の第1項で触れ、また前に示した第11項『大毘婆沙論』にて論じられている、性戒・遮戒についてと同様の論説であり、ハリヴァルマンはまさに説一切有部の諸論師の説に準じています。ここで酒を飲むことが「不善門を開く」としているのは、中でも説一切有部の大学匠Pārśvaパールシュヴァ、いわゆるきょう 尊者の説をなぞったものです。

ハリヴァルマンは、五戒のうち殺生・偸盗・邪淫・妄語はその行為自体が罪悪であるのに対し、飲酒はそうではない。けれども、飲酒という行為を原因として諸々の善行・功徳、言い換えれば今まで積み重ねてきた良い性質を失わさないようにするため、さらに言えば今後の積善しゃくぜん のために、飲酒戒は必要なものである、と説きます。それはいわば、自ら不利益を為すことの予防措置であり、また他に不利益を与えることの防護策であるとされているのです。

以上のような飲酒に関する所論は、ハリヴァルマンの個人的一見解などではなく、やはり諸経典にある飲酒に関する所説に基づいたものであることは言うまでもなく、そして彼がそれまで学んできた阿毘達磨の諸論師たちの説を踏襲したものです。

酒は、世界中ほとんどの社会において許容され、またそれぞれの地において酒文化というべきものを形成しています。美味なる甘露、人間社会の潤滑液、日頃の憂さ晴らしなどとして酒を愛好することは世のたしなみとして受け入れられています。しかし同時に、酒で身を持ち崩す者、酒で取り返しの付かない惨事を引き起こす者は跡を絶たず、酒が人間を狂わせるものであるとの認識はもたれています。酒が物理的身体的な中毒性を有し、理性を損ない、健康を害し、病を進行させるものであることも、もはや常識的に知られていると言って良いでしょう。

もっとも、たといそれ自体に中毒性が無かったとしても、人はそれこそ何であれ依存し、中毒になれるものです。しかし酒が、物理的に人を酔わせ快楽をもたらすものであること、そして物理的中毒性をもっていることにおいて、その程度の差はありますが麻薬と本質的に変わりありません。

むろん、麻薬と一口で言っても、それは多種多様であって一概に言えたものではない。酒は良いが麻薬は駄目というのも、歴史的・社会的・風土的背景があってのことでしょう。よって、これについては国や地域によって認識が異なってしかるべきであり、実際異なっています。世界の大勢としては、「要はバランスである」(酒を禁止するとその弊害は大きい)という認識によって、酒文化は保たれているようです。

けれどもやはり、悟りを求める者、苦海からの解脱を求めるの輩、真理を探求する人には、酒は不善の門であり、害毒でしかありません。ただし、酒を飲まなければ、麻薬をやらなければ人は悪をなさない、などということも決してない。飲酒が「不善の門」であるということの裏を返せば、不飲酒は「善の門」に過ぎないということです。

酒は飲まない、麻薬はやらない。けれども殺人・窃盗・不倫・虚言は平気である、という者もあるでしょう。たとえば、これは極端な例かもしれませんが、イスラム教においては「アッラー(神)がそう定められているから」との理由によって、(国によって相当事情が変わりますがその大体が)酒を飲むことはありません。その過激派に至っては決して酒を飲むことはない。そんな彼らはミルクシェイクを好んで飲む。しかし、平気で人を殺し、盗み、犯します。彼らからすれば、それもまた「アッラーの意志」に従ったものであって、むしろ善であると考えている。そんなようではどう仕様もありません。まさかそれを信教の自由だ、多様性だと擁護しようとする痴人もおりますまい。

人の精神を縛ることは出来ません。そしてその思想や発言を制することは全く自由主義社会に反した、いまだロシアや中国など共産主義・専制主義国家でみられる極めて愚かな独裁的振る舞いです。しかし、それを実際に行っている者を擁護する者は救いがたい愚蒙です。したがって、飲酒だけしなかったとしても意味はありません。

在家信者が飲酒戒を守るのは、他の四戒を守るためであり、その四戒を守るというのも「おブッダ様のお言いつけだから」などといったものでなく、どこまでも自分のため、また他者のためです。「私は酒造家と飲食業界という他者の経済のため、酒文化を保存するために、自らを犠牲にして酒を買い、飲むのである!」などという子供でも思いつきそうな幼稚な譫言は言ってはいけない。いや、言うのは自由であるけれども、程度が知れましょう。

自身を仏教徒であると考え、あるいは五戒は道徳の道であると考える人で、飲酒から意図的に離れている人は、「自分がなぜ酒を飲まないのか」のそもそもの所を憶念していなければ、飲酒戒はたちまち意味の希薄な、いわゆる教条的空虚なものとなってしまうことを忘れてはならないでしょう。

Bhikkhu Ñāṇajoti(沙門覺應)