問世尊何故於遮罪中。唯離飮酒立爲學處。答舊對法諸師。及迦濕彌羅國諸論師説。唯離飮酒是近事者。所受律儀家族本地。離餘遮罪則不如是。故此唯立離飮諸酒。脇尊者曰。法王法主知此律儀有法能爲障礙遮止。有法不爲障礙遮止。謂飮諸酒於此律儀。最極能爲障礙遮止。如守門者禁門不開。離餘遮罪則不如是。故此唯立離飮諸酒。有作是説。離飮諸酒易可防護非餘遮罪。謂酪清漿沙糖水等足能止渇何用酒爲。有餘師言。離飮酒戒能總防護諸餘律儀。如塹垣城能總防護。復有説者。若不防護離飮酒戒。則總毀犯諸餘律儀餘則不爾。曾聞有一鄔波索迦。禀性仁賢受持五戒專精不犯。後於一時家屬大小當爲賓客。彼獨不往留食供之時至取食。醎味多故須臾増渇。見一器中有酒如水。爲渇所逼遂取飮之。爾時便犯離飮酒戒。時有隣雞來入其舍。盜心捕殺烹煮而噉。於此復犯離殺盜戒。隣女尋雞來入其室。復以威力強逼交通。縁此更犯離邪行戒。隣家憤怒將至官司。時斷事者訊問所以。彼皆拒諱。因斯又犯離虚誑語。如是五戒皆因酒犯。故遮罪中獨制飮酒。有餘師説。酒令失念増無慚愧。其過深重故偏制立。如律中説。制地國中有一毒龍。性極暴惡爲稼穡害。其所居池水陸空飛無敢近者。時有尊者名曰善來。以巧方便令其調伏。因此名稱流布八方。於是信心競興供養。漸次遊化至室羅筏。値彼城中請僧設會。有近事女家不豐饒。獨請善來奉上飮食。食多鹽味須臾増渇。爲渇所逼現相求飮。時近事女作是思惟。尊者所食極爲肥膩。若飮冷水或當致疾。遂設方便授以清酒。彼不審察便取飮之。讃慰收衣趣勝林寺。將至醉悶䤄眩便倒。衣鉢錫杖狼藉在地。露體而臥無所覺知。佛將阿難經行遇見。知而故問此臥者誰。何爲此間醉酒而臥。阿難白佛此是善來。佛告阿難可集僧衆。僧衆集已佛在衆中。敷如常座結加趺坐。爾時世尊告苾芻衆。汝等聞見苾芻善來曾以巧便伏毒龍不。諸苾芻衆隨已見聞。各白佛言。我曾聞見。佛言。汝等於意云何。善來今能伏蝦蟆不。苾芻皆曰。不也世尊。爾時如來種種方便呵毀酒過告諸苾芻。汝等若稱佛爲師者。自今已往下至茅端所沾酒渧亦不得飮。故遮罪中獨制飮酒。有作是説。飮酒能令智慧衰退。如説長者智慧衰退。是第六失故遮罪中獨制飮酒。有餘師説。聖者經生必不飮酒。雖嬰孩位養母以指。強渧口中不自在故而無有失。纔有識別設遇強縁。爲護身命亦終不飮。故遮罪。中獨立酒戒
問:世尊は何故、遮罪〈その行為自体は罪でないけれども、それによって罪を犯すおそれがある行為〉の中でも唯だ「酒を飲むことから離れること〈離飲酒〉」のみを取り立てて学処〈[S]siksāpada,[P]sikkhāpada. 学ぶべき事柄。戒とほぼ同義に用いられる〉とされたのであろう?
答:古の対法〈Abhidharmaの漢訳。阿毘達磨〉の諸師、及びカシミーラ〈Kaśmīra. 迦濕彌羅国。現在のインド北西部からパキスタン・中国国境にまたがる一帯。説一切有部の拠点の一つ〉の諸々の論師は、「(幾多ある遮罪に対して、)ただ『酒を飲むことを離れること』だけが近事者〈在家信者。特に五戒以上を受けた者〉の受けるべき律儀〈saṃvara, 戒〉とされるのは、それが家族の本地〈家庭を養い、共に生活を営んでいくための基礎、最も根本的指針〉だからである。他の遮罪を離れることとは同様でないことから、(世尊は)『諸々の酒を飲むことから離れること』を取り立てたのだ」と説いている。
尊者パールシュヴァ〈Pārśva. 脇尊者。説一切有部の大学匠。『大毘婆沙論』編纂の中心人物〉は、「法王法主〈仏陀釈尊〉は、律儀というものについて、ある法〈行為〉はよくその防護措置〈障礙遮止〉となり、ある法は防護措置とならないことを知られている。そこで、『諸々の酒を飲むことから離れること』は、そのような律儀において、最上の防護措置となる。門の守衛が門を閉じて開かないようなものである。(飲酒以外の)他の遮罪を離れたとしても、それと同様にはならない。したがって、ただ『諸々の酒を飲むことから離れること』が取り立てられているのだ」と云っている。
ある者はこのような説を唱えている。「『諸々の酒を飲むことから離れること』はそれを護ることが簡単であるけれども、他の遮罪はそうではない。たとえば果実を絞った飲料〈酪清漿。果汁〉や砂糖水などがよく渇きを潤すのには充分であるのに、どうして酒を用いる必要があろうか」と。
ある他の師は、「『諸々の酒を飲むことから離れること』は、それがよく総じてその他諸々の律儀を防護すること、あたかも塹壕・垣・城壁などがよく総じて(外敵から)防護するようなものである」と言う。
またある者は、「もし『酒を飲むことから離れる戒』を護らなかったならば、すなわち総じてその他諸々の律儀を毀犯するであろう。しかし他(の遮戒)はそうではない。かつて(このような話を)聞いたことがある。ある一人の在家男性信者〈upāsaka. 鄔波索迦〉があった。生来その性格は仁賢〈情け深く賢いこと〉であり、五戒を注意深く受持して犯さすことはなかった。しかしある時、家族の上下皆が招待を受けたが、彼ただ独りその招きに行かなかったため、(家族はその彼のために)食事を用意しておいた。そこで(食事の)時間となって食べたけれども、塩味が強すぎてたちまち喉に乾いてしまった。するとある器の中に酒が入っており、それは水のように見えた。(彼は喉があまりに)渇いて耐えられず、(それが酒だとわかってはいたものの)遂にそれをとって飲んでしまった。その時、(彼は)『酒を飲むことから離れる戒』を犯したのである。するとそこへ、隣家の雞がその家に迷い込んできたのだった。(酒にすでに酔った彼は、その鶏を)盜み心をもって捕えて殺し、料理して食べてしまった。(彼は)これによってまた『殺生と偸盗から離れる戒』〈離殺・盗戒〉を犯したのである。そこへ隣家の女が、雞を探してその部屋にやって来たが、またそれを脅し力でもってねじ伏せ犯したのである。これによってさらに『邪淫を離れる戒』〈離邪行戒〉を犯したのだった。隣の家人は激怒し、官憲に訴え出た。そこでその捜査官が、その経緯を尋問したところ、彼れはすべて否認した。これに因ってまた『虚言を離れる戒』〈離虚誑語〉を犯した。(彼は結局、)そのように五戒をすべて、酒によって犯してしまったのだ。したがって、遮罪の中でもただ酒を飲むことが制されるのだ」と説いている。
ある他の師が言うには、「酒は(人を)放逸〈失念。念すなわち注意を失うこと〉にさせ、無慚愧〈自他に対して恥ないこと〉を強める。その過失は深く重いものであることから、(遮罪のなかでも)唯一これを取り立てて制される。律〈説一切有部の律蔵『十誦律』〉の中で説かれている通りである。『チャイトヤ国〈[S]Caitya, [P]Ceti. 支陀国〉に一匹の毒蛇があった。その性質は極めて暴悪であって農家〈稼穡〉に害をあたえており、それがいる所には水に棲む生き物〈池水〉・陸の上の生き物〈陸〉・空を飛ぶ生き物〈空飛〉であっても敢えて近づくものは無かった。そこに一人の尊者があって、名をスヴァーガタ〈[S]Svāgata, [P]Sāgata. 善来〉というのが、巧みな方法でもってそれを調伏してしまったのである。このことによってその名声が八方に流布することになった。そしてそれが元で(尊者に対する)信心が競うようにして寄せられ、供養されたのだった。そうして次第に遊行するうち、シュラーヴァスティー〈[S]Śrāvastī, [P]Sāvatthī. 室羅筏。舎衛城〉に至ったところ、その街中(の家々)が僧を招待して斎会を設けている最中であった。そこに近事女〈在家女性信者。特に五戒以上を受けた者〉があり、その家は裕福ではなかったため、ただスヴァーガタだけを招待して上等な飮食でもてなしていた。しかし、その食事が塩味の強いものであったため、(彼は)たちまち喉が乾いてしまった。そこでその渇きがあまりに強かったため、それを表して飲み物を求めた。するとその近事女は、このように考えた。「尊者が食べられたのはとても脂っこいものである。もし冷たい水を飲んだならば、あるいは病を得てしまうであろう」と。そこで一考を案じて清酒を差し出したのであった。彼はそれを特に何も疑いもせず、知らずにそれを飲んでしまった。そして(女からの食事の供養に対して)褒め称え、衣を正して勝林寺〈[S]Jetavanavihāra. 祇園精舎。「祇那比呵羅・婆那毘呵羅」(『翻梵語』)〉に向かった。もうすぐ着こうかというその時、(彼は)酔いが回り、目が回ってたちまち倒れこんでしまった。彼の衣や鉢そして錫杖は無秩序に地に散乱。その裸体を晒して臥し倒れ、前後不覚となったのである。仏陀は、アーナンダ〈Ānanda. 阿難〉をひきいて経行していたところ、そこに出くわして見られた。(その様子と所以を)知った上で、しかし敢えて(アーナンダに)、「あそこで寝ている者は誰であろう。どうしてこのような処で酒に酔って寝ているか」と問うた。そこでアーナンダは仏陀に、「あれはスヴァーガタです」と答える。仏陀はアーナンダに、「サンガ〈saṃgha. 僧伽。比丘の共同体〉を集めよ」と言われた。そうしてサンガの皆が集ったところで、仏陀はりその中にあり、いつものように座を敷いて結加趺坐された。そしてその時、世尊は、比丘〈[S]Bhikṣu, [P]Bhikkhu. 苾芻。仏教の正式な男性出家者〉達に告げられた、「汝らは、比丘スヴァーガタがかつて巧みな方法によって毒蛇を調伏したのを見聞きしたことがあるだろうか、ないであろうか」と。そこで諸々の比丘達は、その見聞に従ってそれぞれ仏陀に、「私はかつて見聞きしました」と申し上げた。すると仏陀は、「汝らは、どのように思うであろう、(酔いつぶれた)スヴァーガタは今、よくガマガエル〈蝦蟆〉を調伏することが出来るであろうか、出来ないであろうか」と問われた。比丘の皆はそろって、「出来ません、世尊よ」と答えた。そこで如来は種種の方法でもって酒の過失について非難され、諸々の比丘に、「汝らは、もし仏陀をして師となすのであれば、今より以降、たとえ茅の先端をひたして付いたほどの、一滴の酒であろうとも飲んではならない」と告げられた、と(律の中で)いわれる。そのようなことから遮罪の中で、唯一酒を飲むことが制されているのだ」とのことである。
あるいはこのような説がある。「酒を飲むことによって、よく智慧を衰退させる。(経に)説かれるとおりである。『長者の智慧は衰退する。それは第六〈第六識(意識)か?あるいは飲酒の六失の第六か?〉を失したためである』〈典拠不明。あるいは『長阿含経』「善生経」か?〉と。したがって遮罪の中で、唯一酒を飲むことが制されている」 と。
ある他の師は、「聖者が(福智の資糧を集めつつ諸々の)生を経巡っている時は決して酒を飲むことはない。(それはあたかも)乳幼児の頃〈嬰孩位〉に養母が指でもって、強いて口の中に(酒を)垂らしたならば、(乳幼児はその身体を)自由に動かせないためその過失は無い。けれども、わずかでも(異物が口中に入れられたと)識別すれば、たとえ無理強い〈強縁〉されたとしても、その身命を護るために終に飲むことはないようなものである。したがって遮罪の中で、唯一酒の戒が立てられたのだ」と説いている。
『阿毘達磨大毘婆沙論』巻百廿三 業蘊第四中表無表納息第四之二(T27, p.645a-c)
(ここでは地名や人名など固有名詞はサンスクリットに基づく表記とした)
『阿毘達磨大毘婆沙論』(以下、『大毘婆沙論』)とは、説一切有部における中心的論書『阿毘達磨発智論 』(以下、『発智論』)に対する注釈書であり、 玄奘により顕慶元年〈656〉七月二十七日にその翻訳が開始されその三年後の同四年〈659〉七月三日に訳了しもので、全二百巻という膨大な書です。
題目にある阿毘達磨とは、サンスクリットabhidharma の音写であり、その原意は「Dharmaに向かうもの」・「Dharmaに近づくもの」もしくは「優れたDharma」であり、これが漢訳されて対法あるいは勝法とされます。
Dharmaとは、「真理」・「教え」・「思想・宗教」・「道徳」・「方法」・「事物」等々、非常に多義な言葉であります。そのようなことから、支那では敢えて訳されず「達磨」としばしば音写され、あるいは漢語としても多義である「法」との訳が用いられました。ここでのDharmaは「真理」および「(仏陀の)教え」、さらにいえば「事物」の三義を含むものとして理解して過誤ありません。そして 毘婆沙とは、サンスクリットvibhāṣāの音写であり、その原意は「詳しい説」・「整然とした説」・「異なる説」・「反対の説」ですが、ここでは「詳しい説」あるいは「整然とした説」が該当し、すなわち「注釈」の意です。
したがって、題目の『阿毘達磨大毘婆沙論』とは、現代日本語で言えば「法に対する偉大な注釈を記す論書」といったほどのものとなります。
説一切有部とは、仏陀が般涅槃されてから二百年余り後に、何か些細なことが発端となって 本上座部(雪山部)から分出した部派であると伝承されています。部派とは、仏陀の出家の弟子は元来一つにまとまっていましたが、まず仏滅後116年〈一説には100年あるいは160年〉に見解の相異が元で生じた諍論によって上座部と大衆部の二つに分裂。これを根本分裂などと現在称しますが、そこで初めて形成された出家修行者のいわば大きな派閥のことです。その後、その二つの部派はさらに細かく分裂していき、最終的には仏滅後200から300年を経る頃に十八あるいは二十の部派が成立しています。
そんな部派のうち、その比較的早い時機に成立していたのが説一切有部です。これはあくまで唐代の支那における伝承〈基『異部宗輪論述記』〉ではありますが、説一切有部が本上座部から分かれることになったのは、上座部で出家していたKātyāyanīputra〈迦多衍尼子〉(以下、カートヤーヤニープトラ)なる僧がそれまで経律論の順序で重んじられていた三蔵のうち、論すなわち阿毘達磨を最も重視して、いわば論経律としたことによって諍論となったためとされます。そしてまた一説には、その時はまだカートヤーヤニープトラは生まれておらず、ただ上座部内で異見が生じて分かれたともされています。
そのような伝承の真偽はともかく、確かに説一切有部における阿毘達磨が精緻を極めたものであり、また膨大かつ独特であることは事実です。
説一切有部の名は、サンスクリットSarvāstivādaの漢訳でありますが、文字通りsarva(一切)のasti(有ること)のvāda(説)を奉じる部派となっています。ここでその教学の詳細を陳べることは控えますが、その要を言えば、生ける者に常住普遍の「我 〈[S]Ātman, [P]Atta〉」や「霊〈[S]Puruṣa〉」、「魂〈[P]Vedagū〉」の如きものは決して存在しないため無我(非我)である。けれども、しかしあらゆる存在を構成し、あるいは支える物理的・精神的諸要素があって、それを列挙したならば七十有余の法〈モノ.構成要素〉となる。それらはただ現在においてのみ存在するのではなく恒常不変であって、過去・未来・現在の三世に渡って存在している、というものです。
そのような説一切有部の教学について、なんら予備知識ない状態でいきなりそう言われても「ナンノコッチャわからん」となるのは当然です。しかし、それは無常・苦・無我・空や人の身体と心に関する五蘊十二処十八界といった、仏陀が成道から般涅槃まで様々に示された説をより深く理解し説明するために構築された、まさに「阿毘達磨」の見解でした。そのような説一切有部の見解を構築し示しているのが『発智論』であり、それはカートヤーヤニープトラによって著されたものです。その『発智論』の注釈書が『大毘婆沙論』です。
伝承によれば、『大毘婆沙論』が著されたのは二世紀中頃のことであるとされ、それはただ一人の僧の手によるのではなく、当時の大学匠Pārśva〈脇尊者〉(以下、パールシュヴァ)やVasmitra 〈世友〉などを筆頭とする五百人の大阿羅漢によるものとされています。実際、『大毘婆沙論』には、一つの主題についての当時の論師らが有した様々な見解が一々載せられています。時に『発智論』の所説に縛られず、その他の論書での見解が引かれ、場合によっては批判的視点からそれを論じるなど、広く仏陀の所説、事物の真理を詳細にして明らかにしようとしされています。
なにしろ全二百巻という非常な大部であり、またそこで扱われる主題も膨大で微に入り細を穿 つものです。そして、むしろその故に、仏教を信じ学ぶ人からであっても敬遠されるのではなく嫌われています。当然、葬式仏教をもっぱらとする現今の日本における僧職の人にとっては無用の長物以外の何物でもなく、ただ仏教学者のごく一部が読んでその角をつつきまわす程度となっています。
しかしながら、その見解は諸経の説に照らしておかしく思える点があることは否めず、また実際それが他の部派や学僧から批判されたものではありますが、今もこれを読んで学ぶに有益なところ非常に多いこともまた事実です。そして、さらに大乗の思想を理解するのにも不可欠な点が多くあって、仏教の戒律思想を学ぶにもまた必須のものとなっています。
『大毘婆沙論』において、酒を飲むことについてその所々で説かれていますが、「なぜ酒を飲んではいけないのか」の理由などもはや自明とされており、斯々然々と説かれていません。ここで紹介している『大毘婆沙論』における一節の主題は、「酒を飲むことは性罪でなく遮罪であるけれども、なぜ数ある遮罪のうち、ただ飲酒のみが在家における学処とされるのか」ということです。
しかし、それについて言う前に、『大毘婆沙論』がいわゆる「 漏 」、これはしばしば「煩悩」と同義に用いられる語ですけれども、それについて説明する一節において、酒を飲み酔うことに絡めて説明している箇所があるため、これは参考までにということになりますが、それをまず紹介しておきます。
有三漏。謂欲漏有漏無明漏 《中略》
問何故名漏。漏是何義。答留住義淹貯義流派義禁持義魅惑義醉亂義是漏義。《中略》
醉亂義是漏義者。如人多飮根莖枝葉花果等酒即便醉亂。不了應作不應作事無慚無愧顛倒放逸。如是有情飮煩惱酒不了應作不應作事無慚無愧顛倒放逸。聲論者説。阿薩臘縛者。薩臘縛是流義。阿是分齊義。如言天雨阿波吒梨。或施財食阿旃荼羅阿言顯此乃至彼義。如是煩惱流轉有情乃至有頂故名爲漏
《『発智論』本文:》(漏〈āsrava〉には)三漏がある。 欲漏・有漏・無明漏である。 《中略》
問:何故に「漏」と言うのであろう?「漏」とはいったいどの様な意味であろうか?
答:留住・淹貯・流派・禁持・魅惑・酔乱が、漏の意味である。《中略》
「酔乱が漏の意味」であるとは、人が多くの根・茎・枝・葉・花・果実等によって作られた酒を飲んだならばたちまち酔って乱れ、なすべき事となすべきでない事がわからなくなり、慚も無く愧も無くなって、顛倒〈真理・真実と真逆の思考〉し、放逸となるように、生けるもの〈有情〉が煩悩という酒を飲んだならば、なすべき事となすべきでない事がわからなくなり、慚も無く愧も無くなって、顛倒にして放逸となる。(そのようなことから「酔乱が漏の意味」である。)
文法学者〈声論者〉の説に拠れば、「āsrava〈阿薩臘縛〉とは、srava〈薩臘縛〉は『流れること〈流〉』という意であり、ā〈阿〉とは『等しく及ぶこと〈分齊〉』の意である。空から雨がふることāpāṭali〈阿波吒梨。「パータリプトラ(街の名)にも等しく及ぶ」の意〉、あるいは財や食を施すことācaṇḍāla〈阿旃荼羅。「チャンダーラ(賤民)にも等しく及ぶ」の意〉と言うように、āという語はかれこれの意を顕すものである。そのように、煩悩が、生命あるものには有頂天〈天界の最上位〉に至るまで『(等しく)流転するもの』であることから、漏と名付けられる」という。
『阿毘達磨大毘婆沙論』巻四十 結蘊第二中不善納息第一之二(T27, p.244a-b)
阿毘達磨における定義では、煩悩 〈[S]kleśa, [P]kilesa〉と漏 〈[S]āsrava, [P]āsava〉との意は似たようで若干異なっており、漏はいわば煩悩の上位概念です(漏とは無明・結・縛・随眠・随煩悩・纏 を全て包括した称)。その漏に「欲漏・有漏・無明漏の三種あり」とする『発智論』の説を受け、『大毘婆沙論』がそれに注釈を様々に加えていくのですが、ここでそれは問題ではない。
ここで指摘しておきたいことは、酒と煩悩とが類比として(否定的に)用いられていることです。酒あるいは煩悩によって「不了應作不應作事無慚無愧顛倒放逸(作すべき事と作すべからざる事を了ぜず、慚無く愧無く顛倒し放逸す)」とされている点です。酒という煩悩により、人に酔いと乱れとが流れ出て、前後不覚となって恥を失い、その智慧も無くして、勝手気ままな状態になってしまう。
仏陀や阿羅漢にでもならないかぎり、人は誰しも当たり前に煩悩を有してそれに常日頃踊らされており、それはあたかも酔っ払った状態に等しいわけですが、これはただでさえそんな状態であるのに、二重に酔いを重ねてなんとする、という話でもありましょう。『大毘婆沙論』は、そのような「説教臭いこと」を言うために以上のように言っているわけでは全然ありません。しかし、そのように言うことは出来、それは事実であります。
ところで、日本語には行くべきところがわからず迷い彷徨うこと、あるいは無闇にあちこち徘徊 することを「うろうろする」と表現しますが、これは擬声語いわゆるオノマトペではありません。この「うろ」とは先に言及した三種あるという漏のうち「有漏」のことだったようです。もっとも、阿毘達磨の定義では、我々人や動物の漏は「欲漏」であり、「有漏」は人などではなく神々における無明以外の煩悩にまつわる状態をいうのですけれども、この場合は「煩悩の有ること・状態」といった一般的な意味で用いられています。
人が煩悩によって迷った状態を「有漏」とし、そこから人が行く宛先がわからずにあちこち行くことを「うろうろ」としたものですが、よく思いついたな、と感心する面白い表現です。
冒頭に挙げた『大毘婆沙論』が主題としてる「酒を飲むことは性罪でなく遮罪であるけれども、なぜ数ある遮罪のうち、ただ飲酒のみが在家における学処とされるのか」について話していくには、まず遮罪や性罪とは何かを説明しておかなければなりません。
遮罪とは、それ自体は罪でも悪でもないけれども、しかし何らかの罪や悪、過失につながる可能性の高い行為のことです。
遮罪の代表例が「酒を飲むこと」で、それがどのような過失に繋がる可能性があるかは上に述べたとおりであり、また前項でいくつも指摘してきた通りです。その他にも遮罪とされるものは多くありますが、卑近な例としては「草木を傷つけること」や「土を掘ること」を挙げることが出来ます。これは「草木など植物も生命であるから」などというのではなく、草木を棲家としている虫や鳥獣あるいは精霊・神々といったその他の生物の居場所を奪う可能性があるためです。しばしば変な誤解をしている者がありますが、仏教において植物を損なうことを殺生とは決して言いません。植物は輪廻しないためいわゆる 衆生・有情 の範疇に入らない。そして土を掘ることは、ミミズやオケラその他の土中に住まう生物をそれと知らずに殺傷してしまう可能性があるから、という理由で遮罪とされます。
遮罪の反対が性罪で、その自体が罪悪とされる行為です。総じて言えば十悪がそれです。すなわち、①故意に他の生命を殺傷すること、②故意に与えられていない他の物を我が物とすること、③故意に他の夫・妻・恋人などと性交渉、あるいは強姦すること、④故意に事実でないことを偽って言うこと、⑤故意に意味のない無益な言葉を発すること、⑥故意に粗暴な言葉を発すること、⑦故意に他を誹謗・中傷すること、⑧飽くことなく求め欲すること、⑨怒ること、⑩真理に反した見解をもつことの十種の行為です。
そんな十悪に代表される行為をなさぬように制したものが性戒であり、また十悪を犯すことにつながるような行為を戒めたものが遮戒です。そこで飲酒とは遮罪であり、したがって飲酒戒は遮戒に該当します。
そのような前提の上で、「なぜ数ある遮罪のうち、ただ飲酒のみが在家における学処とされるのか」という設問がされます。この学処という言葉も一般に馴染みのないものかもと思われます。しかし、これは仏教において重要な語の一つで、śikṣāpada([P]sikkhāpada)の訳で「学ぶべき事柄」を意味します。それに対し、戒とは「道徳」や「習慣」を意味する[S]śīla([P]sīla)の訳で、学処を確実に実行し続けたことによって自ら実現するまさに「よい習慣」、その結果としての道徳が実現された状態をいう言葉です。いわば学処とは訓練であり、戒とはそれによって達成されるべき目標です。
先程「草木を傷つける」とか「土を掘る」ことも遮罪とされることを述べておきましたが、もしそれらが在家の戒とされたならば、農業や林業など在家の生業は成り立たなくなってしまう。「いや、そんなこというなら殺生戒はどうなる」という声が聞こえてきそうです。しかし、先に述べたように、殺生は性罪であるため容認することは出来ず、それとは話が別です。
これは殺生についてだけ言えることでもありませんが、なんであれ性戒を仮に職業などの立場上守れないならば、それはその人の業として致し方ないことです。これは猟師や畜産家などに限らず、国王や兵士・警吏など為政者や官憲においても、たとえ不本意であっても止むを得ない場合、むしろ義務として「殺生」しなければならない場合が現実には無数にあるでしょう。
殺生と言っても、小さな虫を殺すのと大きな動物を殺すのとでは随分異なります。また、動物を殺すのと人を殺すのとではまるで違います。そして同じ人を殺すのでも、死刑に値する重大な罪を犯したものを殺すのと、善政を布く一国の王あるいは仏陀を殺すのとでは、その重みが全く異なります。これは偽善であるとか差別であるとかいうことでは無く、現実の話です。命とは、それぞれの生命にとって最も大きな価値を持つもので、他の生命を奪うことはそれが取り返しがつかないものであることから最も重大なことです。けれども、すべての生命の価値が全く等しいということはない。
(余談ながら、仏教とほぼ同時期に生じていたインドのジャイナ教は、特に殺生を禁断すること著しいものであったため、その在家信者には農家や猟師がほとんどありません。ならば彼らはどうしたのか。その多くは商人となって、しかも同様に不妄語も護持していることから正直な者が多く、故に成功して裕福な人が多い、といわれています。なお、その出家者の中には外出時に箒を必ず携帯し、道の虫を殺さないよう前方の地面を掃きながら移動するなど徹底した者が、今もなおあります。)
そしてほとんどの場合、なんらかの形で生命は他の生命を損ない、奪って生きていかなければならない。しかしそれが性罪であることに変わりなく、仏教がこの世を苦海だといい、娑婆だというのはそのようなことにも基づきます。
たとえば、猟師や漁師などを生業とする者があって、仮にその者が大変な資産家であり仏教に対して熱心に、そして多大な寄進をしていたとしても、それで殺生という行為をしても良いことだと変えてしまうことは出来ません。もし「彼は殺生で生計を立てているけれどもうちの大口のスポンサーだし…、よし!では殺生を性罪だといい、戒とするのはやめっちまおう」などとしたならば、それこそ大変な欺瞞でありましょう。実際は仏陀の弟子に、国王や兵士、そして猟師や娼婦など、五戒を受けていながらそのいくつかを職業上決して守れない人が多くあり、その矛盾・葛藤を抱えながらも、いや、だからこそ熱心な信者としてありました。
しかし、酒はそうではない。そしてまた、草木を刈ったり土を掘ったりしても、人がそれで酔い乱れることはありません。故に「草木を刈った者は車両を運転してはならない」などとされることは決してない。けれども、酒はそうではない。
酒造家や酒屋でもなければ、酒を飲まず飲まさずとも稼業を営み在家生活を送ることは可能であり、そのように生活することでむしろ家族・家庭の礎を強固なものにすることも出来るでしょう。実際、『大毘婆沙論』に挙げられる古の論師達は、そのように言っています。また、説一切有部の大学匠パールシュヴァは、酒から離れることによってその他四つの性罪とされる行為を酔いで無闇に犯す可能性を閉ざせることを、「如守門者禁門不開(守門者の門を禁じて開かざるが如し)」と表現しています。
冒頭示したように、『大毘婆沙論』は様々な見解を有する当時の論師たちの説を挙げていますが、そんな中でも普段は五戒を堅実に守っていた男が不意に飲んだ酒が元で五戒すべてを破ってしまった、という話は今も比較的有名です。これを出来すぎた話のように思われる人があるかもしれません。しかし、現代では鶏を殺して食べたということを除けば、今も日常そこらで生じている事態です。それがその話の性質上、表沙汰にならないだけであって、すこぶる現実的な話と言えます。
また、これは在家の五戒における飲酒戒についての話であったはずですが、律蔵における出家者への飲酒戒制定の因縁譚を論拠とし、飲酒が遮罪であっても重大な結果を引き起こす可能性が高いことから、ただ飲酒のみ遮罪として五戒の中で制されていると、考えていた論師があったことも知られます。その論拠となった律蔵は、当然ながら説一切有部の律蔵で漢訳の『十誦律』が該当します。そこでは飲酒戒制定の因縁譚は、前項10.『四分律』で示したものと話の筋は大同ですが、酒を勧めた人物が違うなど、若干の相異が見られます。
そんな諸見解を挙げる論師の中に、個人的に面白いと思えるもので、「離飮諸酒易可防護非餘遮罪。謂酪清漿沙糖水等足能止渇何用酒爲(離飲諸酒は防護すべきこと易く、余の遮罪は非ず。謂く清漿・沙糖水等、能く渇きを止むるに足る。何ぞ酒を用いることを為さんや)」、すなわち「諸々の酒を飲むことから離れるのは、それを護ることが簡単であるけれども、他の遮罪はそうではないためである。たとえば果実を絞った飲料や砂糖水などがよく渇きを潤すのに充分であるのに、どうして酒を用いる必要があるのか」などという説を挙げている人があったことが記されています。
これは…、どうでしょう。この説を主張した論師は、あるいはかなり早い時期から出家しており、酒などその生涯でほとんど、あるいは全く飲んだことがない比較的若い人であったのかもしれません。酒呑みからすれば、「オメェ様はなんもわかっちゃおらんな」というべき意見でしょうか。これを微笑ましいというのは往古の真摯な論師に対しておこがましいですが、しかし、酒を飲まない者からする実に率直な言葉であったのでしょう。
酒を飲むこと飲ませることはむしろ善いことであり、酒にまつわる放逸・懶惰な振る舞いや誤ちを容認あるいは許容する飲酒文化にどっぷり浸かって者からすれば、それは全てなんの用もなさない空論に過ぎないかもしれません。実際、これは世間の全ての人に対して論じられたものでなく、あくまで仏教徒に対してのものです。
そこでしかし、その仏教徒であると自称する者が、飲酒戒に話が及べばたちまち 市井 の徒による飲酒容認の弁論を奉じ、あるいはキリスト教における酒・ワインなどという話を持ち出して、したり顔で語るのはまさに濫行であって、詭弁に他なりません。
『大毘婆沙論』には以上のような酒に限らず広範で様々な事柄について真剣に議論された見解が、しかもそれは今から1800年あまりも昔のインド北西部におけるものであるのですが、現在にもなお我々に伝えられています。そんな彼らの真摯な営みに触れることが出来るのは、実に幸いです。
Bhikkhu Ñāṇajoti(沙門覺應)