梵網戒とは、『梵網経』という大乗経の下巻に説かれる、犯すべからざる重大な十項目とそれに比較したならば軽罪となる四十八項目、重・軽あわせて合計五十八の行為についての戒の総称です。十の重罪と四十八の軽罪となる行為について説いたものであることから、経ではこれを十重四十八軽戒と称し、あるいは世に十無尽蔵四十八軽と称されます。また一般には、このうちの十重を特に取り沙汰して十重禁戒あるいは十重禁とも言われます。
十重四十八軽戒には、出家者にしか適用しえない条項、あるいは反対に在家信者にのみ適用し得るものがいくつかあります。故に梵網戒は、その授戒対象者として特に大乗を奉じる者、いわゆる菩薩に対して説かれたものです。そのことから梵網戒はまた菩薩戒とも言われます。
中世以来の伝統では「禁」の字の訓について、仏教の戒律に関するものであれば「きん」と漢音でよみ、外道の戒について言う場合は「こん/ごん」と呉音で読むとするなど、同じ語であっても読み分けることに依って容易に区別出来るようされています(『南北相違鈔』)。したがって中世以来、「十重禁戒」は「じゅうじゅうきんかい」と一般に読まれます。
『梵網経』では、所説の戒について以下の如きものであると説かれています。
爾時釋迦牟尼佛。從初現蓮花藏世界。東方來入天王宮中説魔受化經已。下生南閻浮提迦夷羅國。母名摩耶父字白淨吾名悉達。七歳出家三十成道。號吾爲釋迦牟尼佛。於寂滅道場坐金剛花光王座。乃至摩醯首羅天王宮。其中次第十住處所説。時佛觀諸大梵天王網羅幢因爲説。無量世界猶如網孔。一一世界各各不同別異無量。佛教門亦復如是。吾今來此世界八千返。爲此娑婆世界坐金剛花光王座。乃至摩醯首羅天王宮。爲是中一切大衆略開心地法門品竟。復從天王宮下至閻浮提菩提樹下。爲此地上一切衆生凡夫癡闇之人。説我本盧舍那佛心地中初發心中常所誦一戒光明。金剛寶戒是一切佛本源。一切菩薩本源。佛性種子。一切衆生皆有佛性。一切意識色心是情是心皆入佛性戒中。當當常有因故。有當當常住法身。如是十波羅提木叉。出於世界。是法戒是三世一切衆生頂戴受持。吾今當爲此大衆重説十無盡藏戒品。是一切衆生戒本源自性清淨
その時、釈迦牟尼仏は、初めて蓮花蔵世界に現れてより東方から来たって天王宮の中に入り、『魔受化経』を説きおわると、南閻浮提〈Jambu-dvīpa. 南贍部洲〉の迦夷羅国〈Kapilavastu〉に下生した。母の名を摩耶〈Māyā〉といい、父の字は白淨〈Śuddhodana〉といい、私は名づけて悉達〈Siddhãrtha〉といった。七歳にして出家〈写誤か?一般に廿九歳出家〉し、三十にして成道〈三十五歳成道とも〉すると、私を号して釈迦牟尼仏〈Śākya-muni Buddha〉とした。寂滅道場に於いて金剛花光王座に坐してから、乃至、摩醯首羅〈Maheśvara. 大自在天〉天王宮に至るまで、その中で次第して十の住処にて説法したのである。
ある時、仏は諸々の大梵天王の網羅幢を観たことに因って法を説かれた。
「この無量の世界とは、あたかも網孔のようなものでだ。一つ一つの世界は各々不同であって別異たること無量である。仏の教門もまたそのようなものだ。私は今、この世界に来たること八千回となった。この娑婆世界のために金剛花光王座に坐してより、乃至、摩醯首羅天王宮に至るまで、この中のすべての大衆のために略して「心地法門品」を開き竟った。また天王宮より下って閻浮提の菩提樹下に至り、この地上のすべての衆生、凡夫、愚かな人のために、我が根本たる毘盧舎那仏の心地の中の、初発心の中にあって常に誦すところの一戒、光明金剛宝戒を説こう。これはすべての菩薩の本源であり、仏性の種子である。すべての衆生には皆、仏性がある。すべての意識・色・心、この情、この心ある者は皆、仏性戒の中に入る。 各々の未来に常有の因があるがために各々の未来に常有の法身がある。このような十波羅提木叉〈prātimokṣa. 戒本〉が世界に示されている。この法戒は三世のすべての衆生が頂戴し、受持すべきものである。私は今、まさにこの大衆のために重ねて十無盡蔵戒品を説こう。これはすべての衆生の戒の本源であって、自性清浄である」
《伝》鳩摩羅什訳『梵網経』盧舍那佛説菩薩心地戒品第十 卷下
(T24, p.1003c)
『梵網経』は、全体として前後関係や表現、修辞などにおかしく、わかりにくい点がまま見られるのですが、この一説にもそのような点が所々表れています。『梵網経』を読むに際して心しなければならないのは、それがまともに理解できるような記述となっていない、ということです。
それはさておき、『梵網経』のこの一節によれば、釈迦牟尼仏とはこの世にただ独りあったものでなく、すでに世界に八千度も繰り返し仏陀として表れ、説法してきた存在であるといいます。そして、その説法の内容は、ただ己が悟って初めて世に開顕したものでなく、法身としての毘盧舎那仏が説き示していたものを伝えているのだとしています。
その肝要である毘盧舎那仏によって説かれた一戒は、「光明金剛宝戒」であるともいい、それが「菩薩の本源」・「仏性の種子」であって、「仏性戒」・「法戒」であるとも説き、「一切衆生の戒の本源」であると説かれます。要するに、『梵網経』「盧舍那佛説菩薩心地戒品」はその序において、所説の戒が(他の戒に比して)より根源的であって、故に菩提を得るためには最も重大にして不可欠なものであるとの宣言をなしているのです。
このような序文に続き、『梵網経』は偈文をもって、またそれがどのようなことかを重ねて述べています。
我今盧舍那 方坐蓮花臺 周匝千花上 復現千釋迦
一花百億國 一國一釋迦 各坐菩提樹 一時成佛道
如是千百億 盧舍那本身 千百億釋迦 各接微塵衆
倶來至我所 聽我誦佛戒 甘露門則開 是時千百億
還至本道場 各坐菩提樹 誦我本師戒 十重四十八
戒如明日月 亦如瓔珞珠 微塵菩薩衆 由是成正覺
是盧舍那誦 我亦如是誦 汝新學菩薩 頂戴受持戒
受持是戒已 轉授諸衆生 諦聽我正誦 佛法中戒藏
波羅提木叉 大衆心諦信 汝是當成佛 我是已成佛
常作如是信 戒品已具足 一切有心者 皆應攝佛戒
衆生受佛戒 即入諸佛位 位同大覺已 眞是諸佛子
大衆皆恭敬 至心聽我誦
我れ盧舍那〈Vairocana. 毘盧舎那仏〉は今まさに蓮花台に坐し、周りを取り巻く千の蓮華の上にまた千の釈迦を現じる。その一花には百億国あって一国に一釈迦あり、各々菩提樹に坐して一時に仏道を成就している。そのような千と百億(の釈迦)とは盧舍那を本身とし、千と百億の釈迦は各々微塵衆を接し、倶に我が所に来たって我が誦する仏戒を聴き、甘露の門を則ち開くのだ。この時、千百億(の釈迦)は、還って本の道場に至り、各々菩提樹に坐して我が本師の戒たる十重四十八を誦す。戒は明らかな日月のようで、また瓔珞の珠のようである。微塵〈千と百億の釈迦〉の菩薩衆、これに由って正覚を成就する。
これは盧舍那の誦されたところであり、我〈千と百億の釈迦〉もまたそのように誦す。汝、新学の菩薩よ、頂戴して戒を受持せよ。この戒を受持したならば、転じて諸々の衆生に授けよ。諦かに聴け、我がまさに仏法の中の戒蔵、波羅提木叉〈prātimokṣa. 戒本〉を誦す。大衆は心に諦かに信ぜよ。汝は当成の仏〈すでに成道した者〉、我は已成の仏〈これから成道するべき者〉である。常にこのような信を作したならば、戒品をすでに具足するであろう。すべての心ある者よ、皆まさに仏戒を摂受せよ。衆生が仏戒を受けたならば、たちまち諸仏の位に入り、位が大覚に同じとなったならば、真にそれは諸仏の子である。大衆は皆、恭敬して至心に我が誦するところを聴け。
《伝》鳩摩羅什訳『梵網経』盧舍那佛説菩薩心地戒品第十 卷下
(T24, p.1004a)
『梵網経』は、その所説の戒が釈迦牟尼仏によって示されたものでなく、蓮華蔵世界という宇宙の中心にある毘盧舎那によって開顕されたものを、千あるいは百億の小世界にある釈迦牟尼仏が伝え説いたものであると宣言しています。「誦我本師戒 十重四十八(我が本師の戒たる、十重四十八を誦す)」の「我本師」とは毘盧舎那です。
しかしそこで、先に「一一世界各各不同別異無量。佛教門亦復如是(一一の世界、各各不同にして別異なること無量なり。佛の教門も亦た復た是の如し)」などと言っておきながら、千あるいは百億の世界に同じく釈迦牟尼仏という名の仏があるとは不審です。要するに釈迦とは毘盧舎那のいわば複製(クローン)のようなものあるかのように云われています。
ところで、この偈文において注目すべきは「常作如是信 戒品已具足(常に是の如き信を作せば、戒品已に具足す)」と言い、所説の戒の受持が「信」にかかっていると言っていることです。そこで、ではその「信」とは何に対するものであるかというに、先ずは「汝是當成佛 我是已成佛(汝は是れ當成の佛、我は是れ已成の佛)」というのに掛かり、引いてはその戒が毘盧舎那所説のものであり、それが仏果に直結したものであるというのに掛かっています。
『梵網経』は偈文の後に、以下のように続けています。
爾時釋迦牟尼佛。初坐菩提樹下成無上覺。初結菩薩波羅提木叉。孝順父母師僧三寶。孝順至道之法孝名爲戒亦名制止。佛即口放無量光明。是時百萬億大衆諸菩薩。十八梵天六欲天子十六大國王。合掌至心聽佛誦一切佛大乘戒。佛告諸菩薩言。我今半月半月。自誦諸佛法戒。汝等。一切發心菩薩亦誦。乃至十發趣十長養十金剛十地諸菩薩亦誦。是故戒光從口出。有縁非無因故。光光非青黄赤白黒。非色非心。非有非無。非因果法。是諸佛之本源菩薩之根本。是大衆諸佛子之根本。是故大衆諸佛子應受持應讀誦善學。佛子諦聽。若受佛戒者。國王王子百官宰相。比丘比丘尼。十八梵天六欲天子。庶民黄門婬男婬女奴婢。八部鬼神金剛神畜生乃至變化人。但解法師語。盡受得戒。皆名第一清淨者。
その時、釈迦牟尼仏は、初めて菩提樹の下に坐して無上覚を成就し、初めに菩薩の波羅提木叉を結したまわれた。
「父母・師僧・三宝に孝順せよ。孝順は至道の法である。孝を名づけて戒とし、また名づけて制止という」
と。すると仏は口から無量の光明を放たれた。この時、百万億の大衆、諸々の菩薩、十八梵天・六欲天子、そして十六大国の王らは、合掌して至心に仏が、すべての仏の大乗戒を誦されるのを聴いた。仏は諸々の菩薩に告げられた。
「私は今、半月半月に自ら諸仏の法戒を誦す。汝ら、すべての欲心した菩薩らもまた誦せよ。乃至、十発趣・十長養・十金剛・十地の諸々の菩薩もまた誦せよ。この故に(先ほど)戒の光が口から出たのである。(あれは)縁のあることで因の無いことによるのではない。故に(先ほど私の口から出た)光光は青・黄・赤・白・黒でなく、色でもなく心でもなく、有でなく無でもなく、因果の法でも無い。これは諸仏の本源であり、菩薩の根本である。これは大衆たる諸仏子の根本である。この故に大衆たる諸仏子はまさに受持しなければならず、読誦して善く学ばなければならない」
「仏子よ、あきらかに聴け。もしこの仏戒を受ける者は、国王・王子・百官・宰相であれ、比丘・比丘尼であれ、十八梵天・六欲天子であれ、庶民・黄門〈性的不能者〉・婬男・婬女・奴婢であれ、八部鬼神・金剛神、畜生〈動物〉および变化人〈天・神霊が形を変えたもの〉であれ、ただ(戒を授ける)法師の語る言葉を理解できるのであれば、悉く戒を得る。これを第一清浄者と名づける」
《伝》鳩摩羅什訳『梵網経』盧舍那佛説菩薩心地戒品第十 卷下
(T24, p.1004b)
このように、『梵網経』では、釈尊が成道後、先ず「菩薩波羅提木叉」を説いたのであるとしています。いうまでもなく、それがいわゆる梵網戒であるのですが、その他の仏典の所伝とはずいぶん齟齬する話となり、実に奇妙なことと思われますが、そこには何故か「百萬億大衆」や「諸菩薩」・「十八梵天」・「六欲天子」ばかりでなく、印度の「十六大国王」が控えていたようです。
他にもおかしなことが述べられていますが、それらはここでは不問とし、その所説の戒についてのみ見ていきましょう。いわゆる梵網戒を受け得る者として、「但解法師語(但だ法師の語を解せば)」とただ戒師の語る言葉さえ理解出来ることのみを条件としており、天であれ人であれ動物であれ、それ以外の制限は無いものとされています。ただし、これについては後述しますが、七遮(七逆罪)といわれる行為を過去なした者は除外されます。
そもそも、それが「戒(śīla)」であるならば、それは当たり前のことであってわざわざ強調する必要など無いのですが、人についても勿論立場の隔て無く出家者・在家者も問わない、いわば通戒とされています。
以上のように述べられてから、また重ねて所説の戒を受持することが菩薩として必須であることが説かれます。
佛告諸佛子言。有十重波羅提木叉。若受菩薩戒不誦此戒者。非菩薩非佛種子。我亦如是誦。一切菩薩已學。一切菩薩當學一切菩薩今學。已略説菩薩波羅提木叉相貌。是事應當學敬心奉持
仏〈釈迦牟尼仏〉は諸々の仏子に告げられた。
「十重波羅提木叉がある。もし、菩薩戒を受けていながらこの戒を誦さないならば、菩薩ではない。仏の種子ではない。我もいまたこのように誦す。すべての菩薩はすでに学び、すべての菩薩はまさに学ぶであろうし、すべての菩薩は今学んでいる。すでに略して菩薩の波羅提木叉の相貌を説いた。この事をまさに学び、敬心して奉持せよ」
《伝》鳩摩羅什訳『梵網経』盧舍那佛説菩薩心地戒品第十 卷下
(T24, p.1004b)
この一節で少々奇異に感じられ、故に留意すべきことは、「若受菩薩戒不誦此戒者(もし菩薩戒を受して此の戒を誦せざれば)」と、「戒を受持」ではなく「戒を誦」と述べられていることです。これは上に挙げた『梵網経』の諸々の一節でも多くの場合同様で、『梵網経』においては「受持」というよりむしろ「誦」すなわち「戒を口にすること」が強調されている点です。そこでしかし、「受持」と「誦」とが同義に用いられているというのでもなく、また両者が等価値に見なされているわけでも無いようですが、『梵網経』が非常に「戒を誦すこと」を強調しているのは注意すべきことです。
この一節以下、ついにその十重波羅提木叉とはいかなる内容であるかが開陳され、つづいて四十八軽戒が明かされていきますが、その詳細は次項にて示します。
『梵網経』は十重波羅提木叉の具体的内容を示した後、それを犯した者にはいかなる報いがあるかを説いています。
善學諸仁者。是菩薩十波羅提木叉。應當學。於中不應一一犯如微塵許。何況具足犯十戒。若有犯者不得現身發菩提心。亦失國王位轉輪王位。亦失比丘比丘尼位。亦失十發趣十長養十金剛十地佛性常住妙果。一切皆失墮三惡道中。二劫三劫不聞父母三寶名字。以是不應一一犯。汝等一切諸菩薩今學當學已學。如是十戒應當學敬心奉持。八萬威儀品當廣明
「波羅提木叉を)善く学ぶ諸々の仁者よ、これは菩薩の十波羅提木叉である。まさに学ぶべきものである。この中の一一を犯すことなど、微塵ばかりとしてもあってはならない。ましてやすべて十戒を犯すなどあってはならない。もしこれを犯したならば、(その者は)現身に菩提心を発すことが出来ない。あるいは国王の位・転輪王の位を失い、あるいは比丘・比丘尼の位を失い、十発趣・十長養・十金剛・十地・仏性常住の妙果を失うであろう。全てを失って(地獄・餓鬼・畜生の)三悪道に堕ちて二劫・三劫の間は、父・母・三宝の名をすら聞くことが無いであろう。そのようなことから一つとして犯してはならない。汝らすべての諸菩薩で、今(これを)学び、まさに学ぼうとし、すでに学んでいる者らよ、このような十戒をまさに敬意をもって奉持し、学ぶべきである。(これについては本経の)「八万威儀品」にてさらに詳しく明らかにするであろう」
《伝》鳩摩羅什訳『梵網経』盧舍那佛説菩薩心地戒品第十 卷下
(T24, p.1004a)
上掲の一節にてはそう云われていませんが、『梵網経』では十重波羅提木叉の一々の内容を示した最後に、それを犯したならば「是菩薩波羅夷罪(是れ菩薩の波羅夷罪なり)」と断罪しています。
波羅夷罪の波羅夷とは、[S/P]pārājikaの音写です。他勝処、あるいは不応悔罪・断頭罪と漢訳されます。
なぜこれが他勝処と訳されたかについて、pārājikaという語の構造は「para(他の)+√aj(動かす・投げる)」と「para+√ji(勝つ)」などと一応解釈出来ることによります。「他勝処」と訳したのは玄奘で、その後者の意であると理解したのでしょう。新羅の学僧遁倫はさらに、何故pārājikaを他勝処と言うかについて「若犯此戒者他所勝(もしこの戒を犯したならば他に勝たれる)」と説明しています。他とはすなわち煩悩・魔のことであって、それに負かされて為される行為であるから他勝処という、というのです。
不応悔罪や断頭罪と訳されたことについては、特に律蔵におけるもので、それを犯すことが比丘として最も重い罪であることをよく表したものとなっています。もし波羅夷罪に該当する行為を比丘もしくは比丘尼が犯した場合、その者はただちに僧伽(saṃgha)から追放され、今生において二度と比丘・比丘尼となることは出来ません。そのように、懺悔しても許されない罪であるから不応悔罪であり、また比丘・比丘尼としての死罪を意味するから断頭罪とされます。
例えば、比丘における波羅夷罪となる行為は、①婬(相手の男女・神・動物などを問わない性交渉)・②殺(自殺教唆を含めた殺人)・③盗(世間で死刑とされるほどの重大な窃盗)・④妄語(「菩提を得た」・「聖者・賢者の境地に達した」・「私は神々・精霊らと会話できる」・「餓鬼を見た」などの宗教的虚言)の四つとなります。
(ただし、『四分律』によれば、①の婬戒のみは、婬を犯して後ただちに後悔して僧伽に告白懺悔したならば、二度と比丘とはなれなくなるものの沙弥としてならば出家者として残留することが一応可能となっています。しかし、『パーリ律』にはそのような例外は認められておらず、したがって現代の南方でもそのような者は存在しません)
そこで『梵網経』では、その詳細は次項にて示していますが十項目の行為を挙げ、その十重波羅提木叉を犯すことが「菩薩の波羅夷罪」であると断じられます。
十重波羅提木叉を犯した者が国王であればその地位を、比丘や比丘尼であればその立場を失い、あるいは『梵網経』の上巻に説かれる十発趣など菩薩の高い階梯に登っていた者はその境地を失って仏果を得ることが出来ない。その上さらに、来世は二劫・三劫にわたって三悪道に転生し、父・母・三宝の名を聞くことすらも叶わなくなる、などと説かれています。就中、「比丘・比丘尼であればその地位・資格を失う」としている点。まさしく前述した律における波羅夷罪と同様ではないか、と思われるでしょう。
では、『梵網経』にていわれる「菩薩の波羅夷罪」の意味が、律蔵と同様に「不応悔罪」・「断頭罪」であるかといえば、それが違います。
若有犯十戒者應教懺悔。在佛菩薩形像前。日夜六時誦十重四十八輕戒。若到禮三世千佛得見好相。若一七日二三七日乃至一年要見好相。好相者。佛來摩頂見光見華種種異相。便得滅罪。若無好相雖懺無益。是人現身亦不得戒。而得増受戒。若犯四十八輕戒者。對首懺罪滅。
「もし十戒〈十重波羅提木叉〉を犯した者があれば、(その者に)教えて懴悔させなければならない。仏・菩薩の形像の前に在って、日夜の六回にわたって十重四十八軽戒を誦させ、さらに三世の千仏〈三千仏〉を礼拝させたならば、好相を得させなければならない。(その懴悔が)あるいは七日間・十四日間・二十一日間・四十九日間、乃至、一年間に至ろうとも、必ず好相を見なければならない。好相とは、仏が来たって(その者の)頭頂を撫でられたり、光を見たり、華を見たりするなど、様々な異相のことであって、(そんな好相を得たならば、十戒を犯した)その罪が滅したこととなる。もし好相が無ければ懺悔したとしても意味は無い。その者は現身にまた戒を得ることは出来ない。しかしながら、(仮に好相が得られなかった場合は、以前に受けていたとしても)増して戒を受けることは出来る。もし四十八軽戒を犯した者は、対首懺によって罪は滅する」
《伝》鳩摩羅什訳『梵網経』盧舍那佛説菩薩心地戒品第十 卷下
(T24, p.1008c)
『梵網経』では十重波羅提木叉を犯したとしても、一日六度にわたって梵網戒を誦し、また三千仏礼拝するなどなんらかの行を繰り返による懺悔(悔過)を一週間以上行い、その間に何事か吉祥なる現象に、これを「好相」というのですが、遭遇したならば許されるとしているのです。
『梵網経』だけでなくその他の大乗経にはしばしば「好相」ということが説かれるのですが、それは仏陀が現れて摩頂する、すなわち受者の頭頂にその右手を当てる等の、いわば見仏のことです。夜の夢や白昼夢などに、仏陀や菩薩・高僧などが現れ何事かを示したり語るなどしたり、一般に吉相とされる事象が起こったりすることをもって好相といわれます。
その昔の日本であれば、紫雲がたなびいた、どこからともなく妙香が漂った、突如として白蛇・白鵬があらわれた等々も好相として受け止められています。また、般舟三昧([S]pratyutpanna-buddha-saṃmukha-avasthita-samādhi)、すなわち修禅中に仏陀の姿をありありと見ることも一種の好相です。
あるいは、寺院や僧房など自身の縁あるところに「霊芝」が生えることをもって好相であるとすることもまた、支那および日本において見られます。歴史的に、好相とは必ずしも夢や白昼夢の中だけではなく、現実の物理的現象も含めていわれています。
ただし、気をつけなければならないのは、十重波羅提木叉を犯しても許される、懴悔可能であるというのは、あくまで「菩薩として」の話であることです。先に示したように、梵網戒とは僧俗の通戒です。そこで例えば、僧であって梵網戒を受けた者が、僧としての波羅夷罪と菩薩としての波羅夷罪と重複して断じられる行為を行った場合、菩薩としては許されて再受戒可能であったとしても、僧すなわち比丘としての立場はいかなる懴悔によっても回復されません。
このような菩薩戒と律との波羅夷罪についての相違点は、『瑜伽論』もまた特記しています。
非諸菩薩。暫一現行他勝處法。便捨菩薩淨戒律儀。如諸苾芻犯他勝法即便棄捨別解脱戒。若諸菩薩由此毀犯。棄捨菩薩淨戒律儀。於現法中堪任更受非不堪任。如苾芻住別解脱戒犯他勝法。於現法中不任更受
菩薩らが、もし一たび他勝処法〈pārājayika-sthānīya-dharma〉を犯して菩薩の浄戒律儀を捨したとしても、それは比丘らが他勝法を犯したならば別解脱戒〈prātimokṣasaṃvara〉の棄捨となるのとは異なる。もし菩薩らがこれを犯して菩薩の浄戒律儀〈saṃvara〉を捨したとしても、現世において再度受けることが出来る。比丘が別解脱戒を受けていながら他勝法を犯したならば、現世において二度と受け(比丘とな)ることが出来なくなるのとは異なる。
『瑜伽師地論』巻四十(T30, p.515c)
菩薩戒と律との相違は非常に大きく、しかし、しばしば混同されて理解されている点です。
(日本ではこのことに関する解釈は人によって異なり、しかもその相違は甚大なものとなっていました。例えば、南都で西大寺を中心とした律宗を構えた叡尊一門では、菩薩としては許されても比丘としては許されないと理解しています。これは当然というべき、印度依頼の伝統にも矛盾しないものです。しかしながら、唐招提寺を中心とした律宗を復興した覚盛は、菩薩としてばかりではなく比丘としても許される、としています。覚盛の理解を評したならば、至極非常識で本来的にありえないものとなっています。この二人による理解の隔たりは極めて大きく、彼ら二つの律宗が相交わることが出来なかった一大要因となっています。)
ところで、この菩薩戒を説く『梵網経』の他に、同じく『梵網経』と言われる経典が存在しています。それは釈尊ご在世の当時にあった、様々な外道の諸見解を挙げ連ねている『仏説梵網六十二見経』です。これとおおよそ同じ内容のものが『長阿含経』に「梵動経」との経題で収録されており、パーリ大蔵経の長部(Dīgha Nikāya)にも対応する経典Brahmajāla-suttaが伝わっています。
大乗の『梵網経』のサンスクリット原典での題目がなんであったか正確には不明です。そもそも、『梵網経』の原典なるものが存在したのかどうか自体、甚だ怪しまれたものなのですが、これについては後述します。
日本の空海はその著『梵網経開題』において、サンスクリット原題として悉曇で記しています。が、それは梵語として滅茶苦茶なものです。そしてそれは今、「ボラカンマチハラバソタラム ルシャノウボダハシャボウジサトバシツタハリチビハリバリタ」などという、はなはだ酷く訛った汚らしい読みで訓じられ、伝えられています。そのうちの「ボラカンマチハラバソタラム」は、その悉曇をその正誤を問わずそのままローマ字化して示すと「brhmatīprabhasutraṃ」となります。それは、あるいはbrahmatāprabhāsūtraと記したかったものかもしれません。ならばそれは梵照経であるとか梵光経となって、梵網経とは訳し得るものでないように思われます。
いずれにせよ、大乗と阿含とのそれぞれ『梵網経』の内容は、ただ題目が似通っているというだけで、何一つとして関連するものはありません。その両者はまったく異なる経典です。
なお、空海は『梵網経』について以下のような理解をしていました。
此經梵本有十万頌。所翻三百巻。是則金剛頂經十万頌。是故大廣智三蔵説。梵網經者是金剛頂淺略之分云云 准大日經一切經必具二種義。謂淺略深秘。淺略則以多名句顯其一義。深秘一一字字具無量義。又字相則顯字義則秘。古云。因梵王幢爲喩説此經云云
この経の梵本には十万頌があり、翻訳したのは三百巻である。それは則ち『金剛頂経』の十万頌であった。そのようなことから大広智三蔵は「『梵網経』とはその『金剛頂経』の浅略の分である」と説かれている。『大日経』に准じたならば、一切経には必ず二種の義を具えている。謂く、浅略と深秘とである。浅略とは則ち多くの名句を以ってその一義を顕す。深秘とは一一の字字に無量の義を具える。そこで字相は則ち顕、字義は則ち秘である。古えには「梵王の幢に因って喩えとしてこの経が説かれた」と云われる。
空海『梵網経開題』(『定本 弘法大師全集』, vol.4, p.222)
このような『梵網経』とは密教経典であって『十万頌金剛頂経』の浅略なものであるいう理解は、不空三蔵のそれであって空海にまで伝えられたもののようです。それは梵網戒が毘盧舎那という法身所説のものであると説かれることからも、空海にとって矛盾なく納得しえるものであったのでしょう。
『梵網経』を密教経典として強いて見る必要などありません。しかし、深秘(密教的)にこれを理解することは『大日経』の所説に基づいたらならば可能であることも事実です。
戒有二種。一毘奈耶即調伏義。二尸羅則清浄義。一道清浄之心。本住一如不見彼此。離生死熱悩清涼寂静。斯乃尸羅之義。觀此本寂願求證得断一切悪。是調伏義。上巻所説四十心地則攝善饒益二種之戒。是則尸羅也。下巻所説十無盡蔵四十八輕則攝律義戒。修此律儀息一切悪。即無身心熱悩。亦是有清涼義。是三種戒則事業威儀。即羯磨曼荼羅身。
戒に二種ある。一つは毘奈耶、即ち調伏の義。二つに尸羅、則ち清浄の義。一道清浄の心は、本より一如に住して彼此を見ることなく、生死の熱悩を離れて清涼寂静である。それが乃ち尸羅の義。この本寂を観じて証得することを願い求め、一切の悪を断つ。それが調伏の義である。(『梵網経』)上巻で説かれる四十の心地とは、則ち摂善・饒益の二種の戒であり、それが則ち尸羅である。下巻で説かれる十無盡蔵四十八軽は、則ち摂律義戒である。この律儀を修めて一切の悪を息めば、即ち身心の熱悩無し。またこれが清涼の義である。この三種の戒は則ち事業威儀である。即ち羯磨曼荼羅身である。
空海『梵網経開題』(『定本 弘法大師全集』, vol.4, p.222)
以上のように、空海は『梵網経』を「浅略」と「深秘」の両面から理解しています。
空海は戒に「毘奈耶(vinaya)」と「尸羅(śīla)」の両義があって、それぞれ調伏と清浄の義であるといいます。そこで、『梵網経』上巻に説かれる菩薩の階梯である四十心地は、三聚浄戒で云うところの摂善法戒と饒益有情戒であって、それが尸羅であるとしています。そして、本稿で講じているところのいわゆる梵網戒、十無盡蔵四十八軽(十重四十八軽戒)は、毘奈耶(調伏)であって、その実現が果たされたところにまた尸羅すなわち清涼の義があるとしています。
ここで空海が最初に云う、「戒有二種。一毘奈耶即調伏義。二尸羅則清浄義(戒に二種有り。一に毘奈耶、即ち調伏の義、二に尸羅、則ち清浄の義)」という一節は、戒をśīlaの訳語であると考えたならば全く誤りとなるものです。しかし、śīlaの訳語としての戒でなく、仏教伝来当初から戒と律、そして学処や律儀などの語の違い、異なりなどが正しく理解されず混同された結果、それらを漠然と内包し抽象的に云う別の語として定着した「戒」としていったものであれば、ここで空海がいうこともあながち誤りでもありません。
いずれにせよ、ここで確かであるのは、空海は『梵網経』の所説を三聚浄戒として捉え、また梵網戒を三聚浄戒の摂律儀戒であるとしていたことであり、それを羯磨曼荼羅であると理解していたことです。